明治時代に海外で起業した男の話を読んで衝撃を受けた。 1891年にシンガポールで起業というのは海外を拠点に事業を起こした日本人として初ではないか、とは思う*1。そして彼が堂々とやっていた事業は吐き気を催すようなものであった。 若者はもっとグローバルな経験を積んで起業しろ、みたいな無責任な風潮がある昨今、この起業家の話はもっと知られてもよいと思うのだけれど、Wikipediaもゆるい書かれ方をしているし、ほかにもこれといって記事がないしこの人を扱った本も絶版になっている。 というわけで宮本常一らによる「日本残酷物語I」から引用してこの起業家、村岡伊平治の人生を紹介してみる。 この頃の民俗学でよくあることだけれどあまり出典や採集状況が記述されていないうえ自伝は脚色が多いとされている*2という前提の上で読んでみて欲しい。 その男、村岡伊平治は慶応3年(1867年)に長崎県島原の荷受問屋に生まれた