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先秦に関するlotus3000のブックマーク (4)

  • 中国古代史論叢(The annals of Chinese ancient history)

    中国古代史論叢(The annals of Chinese ancient history) 紹介 & ダウンロードページ 中国古代史論叢PDFデータについて 刊行後、三年を経たデータについては、PDFで公開しています。 PDFの確認は、Adobe Acrobatで行っています。一部のPDFビューワーで閲覧した場合、一部のレイアウトが崩れたり文字が欠けて表示されたりする場合があります(Google Chrome内蔵のPDFビューワーで発生するのを確認しています)。その場合は、Adobe Acrobat viewer等の他のPDFビューワーを利用して下さい。 最新号については、東方書店で委託販売しております。 立命館東洋史学会叢書の一環として刊行しています(立命館東洋史学会中国古代史論叢編集委員会編。印刷は田中プリント様。)。 初集(2004年3月。冊子にはナンバリング無し) 初集表紙(取扱

  • 重慶で新石器時代と殷周時代の遺跡を発見 | 中国通信社

    9月 21, 2010 (中国通信=東京)重慶20日発新華社電によると、重慶市文物考古研究所は先ごろ、武隆県蒋家ハ(土へん+覇の西を雨に変える)で、新石器時代と殷周時代の遺跡を発見した。 蒋家ハ遺跡は烏江左岸に位置し、面積は約2万平方㍍で、今回の発掘では新石器時代と殷周時代の遺跡が見つかった。そのうち、新石器時代の遺跡からの出土品は夾粗砂陶と黒皮陶が中心で、表面には太目の縄文が付けられ、器形は甕が中心だった。殷周時代の遺跡には4基の住居址、11カ所の灰坑があり、1号住居址には15個の柱穴が残されていて、干欄式建物だったことがわかる。出土遺物も豊富で、夾細砂灰陶と褐陶が中心で、少量だが青銅器の装飾品と動物の骨も見つかった。 考古専門家は次のように指摘した。このたびの発掘成果は大きい。第1に、烏江下流では新石器時代の遺跡が少なく、これまでに4カ所しか見つかっていない。今回発見された新石器

  • 湖北省の墓から竹簡が出土←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)武漢20日発新華社電によると、考古関係者は20日、湖北省沙洋県の厳倉古墓群を発掘し、カン子塚椁室(カン=灌のさんずいを豸にする)から竹簡、青銅製の鏃とナイフおよび頭蓋骨の一部を発見した。 湖北省文物考古研究所厳古墓群考古隊の宋有志隊長は次のように述べた。考古隊は16日からカン子塚の発掘作業を開始した。18日に木棺のふたをはずし、棺の中の汚泥から竹簡を発見した。製作年代が古く、墓室内の構造と環境が悪かったため、竹簡は非常にもろかった。作業員は竹簡をしっかりと梱包しており、竹簡の数と書かれている内容は研究室での調査が必要で、調査を通じて墓主の身分が明らかになることを期待している。 作業員は棺内から青銅製の鏃とナイフ、楚国の蟻鼻銭を発見し、西側からは比較的保存状態の良い頭蓋骨も発見した。この頭蓋骨は墓主のものと考えられている。 このほか、現場からは木器と鉄器も見つかった。側室か

  • 湖北省で楚の指揮戦闘車発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)荊門16日発新華社電によると、中国の考古学関係者が湖北省沙洋の厳倉戦国古墓群のカン子塚車馬坑(カン=灌のさんずいをけものへんにする)で、6台の車と14頭の馬を発掘した。うち2号坑で1台の車と2頭の馬が出土し、車輿の中に旗竿、兵器の銅戟(ほこ)と銅戈、軍楽器の銅鐃(どら)など組み合わせの完全な器物があった。考古学関係者は、この車は典型的な指揮戦闘車で、楚の国の車馬坑から発見されたのは初めてと話している。 厳倉古墓群は湖北省荊門市沙洋后港鎮にあり、紀南城を中心にした高規格墓地を構成する一部で、楚の国の貴族墓群である。2009年10月、南水北調(長江水系の水を水不足の華北に送る事業)の引長済漢(長江の水を漢江に引く)工事に合わせて、湖北省の文物官庁は厳倉古墓群の中で規模が最も大きいカン子塚と付属車馬坑の緊急発掘を行った。カン子塚の盛り土、埋め土と車馬坑の整理はすでに完了している

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