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原理主義に関するlotus3000のブックマーク (7)

  • 『思想としての全共闘世代』

    団塊世代特殊論と全共闘世代が混同して語られる論調が多い中、書は、全共闘運動をまともに扱った数少ない書だ。書によって、団塊世代と全共闘運動家の相違点が世間に了知されたはずだ。そればかりではない。著者(小阪修平)は、全共闘の思想的課題に対して、倫理的に向き合った数少ない元全共闘活動家であると言えよう。 しかし、書の全共闘論すなわち著者(小阪修平)の運動歴が全共闘のすべてではない。著者(小阪修平)は全共闘と真正面から向き合ってはいるが、その全共闘体験は限られたものだ。著者(小阪修平)はセクトに属さない(当時、ノンセクトラディカルと呼ばれた)、つまり、市民運動として、全共闘に関わった学生のようだ。だから、著者(小阪修平)の<思想>もそこに縛られている。書は全共闘運動をノンセクトラディカルとして担った者の総括という枠組みに限定されている。 書の指摘を待つまでもなく、同世代の学生(つまり団塊

  • 専制と原理主義について、「夜戦と永遠」より

    佐々木中さんの著書、「夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル」から専制と原理主義について書かれた箇所を引用しました。(傍点による強調など、一部やむを得ず表記を省略・変更した所があります。ご了承ください。)もし佐々木中さんに興味を持たれた方は、「切りとれ、あの祈る手を―〈〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」から読まれることをおすすめします。

    専制と原理主義について、「夜戦と永遠」より
    lotus3000
    lotus3000 2013/06/11
    原理主義と専制者の関係について。
  • http://kousyoublog.jp/?eid=2583

  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    2020/2/13 4:00~5:00 メンテナンスのためアクセスできない状態となります。ご了承ください。

    まとめよう、あつまろう - Togetter
  • 『イスラームのロジック』イスラームと世俗国家

    中田考先生の『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』について続けます。 第二章「イスラームと現代社会」から、イスラームと世俗国家について。 存在する社会集団と個人の多様性を暴力的に抹消し、無理やりに均質化することによって成立した「国民国家」は、「国民主権」、「一般意思」等のフィクションの下に、「国民」の集合体、総意の化身として、人格化、神格化される。 アメリカの宗教社会学者ユルゲンスマイヤーが指摘する通り、世俗的ナショナリズムは「信仰の表現」であり、教義、神話、倫理、儀礼を持つ「部族宗教」の一種である。 地上における不死の神「リヴァイアサン」たる西欧国民国家概念ほど、イスラームの世界観から遠いものはないが、それは範疇をまったく異にする、という意味ではなく、むしろ範疇を同じくして対極にあるものなのである。 西欧近代主権国家概念における主権は、そもそも国内的に最高権力を、対外的に独

  • 「ネオコン左派」に転じる世俗的ヒューマニズムと「新しい無神論者」

    誌創刊号(四月十日発行)に掲載された「米国を席巻する『新しい無神論者』の非寛容と、ほんの少しの希望」では、米国オレゴン州で活動する「新しい無神論者」たちのグループの活動を紹介しつつ、ドーキンスをはじめとする「新しい無神論者」論客の一部に見られる理性至上主義が他者に対するーー特に移民や少数民族など、文化的・宗教的背景の異なる社会的弱者へのーー不寛容に転じることへの懸念を表明した。かれらは米国の宗教右派による女性や同性愛者の権利への攻撃や、イスラム原理主義をかかげるテロリズム、さらにはヒトラーやスターリンの犯罪までもがすべて「理性の欠如」によって起きているかのように言うが、みずからを「理性的」と規定して「非理性的」な他者を切り捨て殲滅しようともくろむ理性至上主義こそ、むしろ危険なのではないか。 「米国を席巻する〜」ではそのようなことを伝えたかったのだが、どうも単なる「無神論者批判」「ドーキン

    「ネオコン左派」に転じる世俗的ヒューマニズムと「新しい無神論者」
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