タグ

2008年5月20日のブックマーク (4件)

  • 増田30歳さん - finalventの日記

    ⇒30歳になって気づいたこと ふーんという感じ。 私はちょうど30歳になったとき、その思いを短編小説に書いたことがある。あれがどっかにあるのかあったらネットに公開してみたいなとか最近ときたま思う。 現実にはそのあと、以前にもちらと書いたけど、自分を巻き込む諸事件に巻き込まれて、自分の人生を生きるのは当分お預け状態。気が付くとぼろぼろで32歳になっていた。結果的に脈絡のない仕事をしつつ、友情はネットでごたごたとして34歳になり、あれ?と思った。孤独というのともすこし違う、ああ、自分はもう自分勝手に生きたいよ、みたいな。そして人生はまた変わっていった。 私は社会的には成功しなかった。論語にもあるが40歳になっても世に出てこないような人間はどうでもよい。というか、世の中は私を必要としていない。 「告子章句下15」 孟子曰、舜發於畎畝之中、傅說舉於版築之輭、膠鬲舉於魚鹽之中、管夷吾舉於士、孫叔敖舉

    増田30歳さん - finalventの日記
  • 30歳になって気づいたこと

    自分はもう若者の先頭ではない、ということ。 そう思うようになった原因としては、新しいマジョリティの存在が大きい。 すなわち20歳前後の若者による新しい世代の台頭を感じるのだ。 28歳ぐらいの時は別段なにも感じなかったけれど、30歳になった今はハッキリと彼らの存在が確認できる。 それはきっと彼らと「同世代」では無くなってしまったからこそ感じる感覚なのだろう、と思う。 おおよそ5歳前後の差は「同世代」というくくりにしても差支えがないように思える。 僕がいま30歳なのだけれど35歳の人たちと話してても特に違和感は無いし、25歳の後輩と話していても同様。 もちろん、多少の年齢差は感じるけど5歳差だったら小学校の時にかぶってるしね。同世代って印象が強い。 ところが10年離れてしまうと「別の文化を持った別の世代」という感覚が強くなる。 小学校の頃から携帯を使っていたなんて話や初めて遊んだゲーム機はプレ

    30歳になって気づいたこと
    lylyco
    lylyco 2008/05/20
    すごいな。年下の発言とは思えない。まあ、たいして変わらん年とはいえ、もうここまで老成したのか。たかが30でここまで…。
  • 仕事どころか何もかもが暇つぶし、から始まる愉しいM人生|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そりゃあ極論すれば何とでもいえる、と承知で書いておく。 ・事務職の彼女にインタビューしてみた。~あたしの仕事は暇つぶし~ 仏教は教える、生きることは苦しみだ、と。そして、生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えて八苦とする。実はこの中にない苦しみを現代人は生きている。暇、だ。暇は人を殺す。生きている意味を見失って死んでしまう人はいる。人間は衣住の心配をヘッジし続け、ついに自由という名の暇を手に入れた。ぼくは仕事以外の時間にたとえば映画を観る。を読む。ブログを書く。どれも暇つぶしだ。暇つぶしは楽しい。最近は暇つぶしに投資の真似事も始めた。これも楽しい。ときに、暇が足りないと思うほどだ。 仕事は楽しい。ときに辛い。陶しい。恋愛は楽しい。ときに辛い。陶しい。どちらも、なかなか思うようにならない。実は、こういうものこそ恰好の暇つぶしとなる。死ぬまでうに困らない

  • モテずに恋を実らす方法

    最近ふと思ったことなんだけど、モテるかどうかと、 色恋沙汰で美味しい思いをできるかどうかって結構相関が低い。 自分は外見も恵まれてないし、スポーツできるわけでも オシャレなわけでも女の子受けする話ができるわけでもなくて、 モテない男同士でモテない話題しながら飲むのが好きな ごく普通のモテない男子だと思う。 でもここ数年ぐらいの自分の人生振り返ってみたら 確実に、このモテなさからあり得ないぐらい、 たぶん色恋沙汰で美味しい目を見てる気がする。 そんな「武勇伝」を語ることはどうでもいいわけだけど、 要するに、モテるかどうかとは別に 「口説けるか」みたいな力がかなり重要で、 その力の大半はある種の図々しさで出来上がってると思う。 相手との距離を適切に詰めていくことが「口説き」の極意で、 その「距離を適切に詰めていく」ために重要なのは つまるところ相手が引かないギリギリの距離感を目測することである

    モテずに恋を実らす方法
    lylyco
    lylyco 2008/05/20
    周りが輝いて見えた学生時代はこの程度のことさえできなかったなぁ。