1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/09/26(金) 12:58:02.21 ID:B5EQqx6u0 大学でメシ食ってたら なんか後輩の女が一緒に買い物行って欲しい とか言い出して今度の日曜日に行くことになった。 どうすれば良いかマジわからん 着ていく服無い。壷売りつけられそう助けて 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/09/26(金) 12:59:05.71 ID:+riA7RN+0 どうやらおまえはキモくないらしい
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/09/26(金) 12:58:02.21 ID:B5EQqx6u0 大学でメシ食ってたら なんか後輩の女が一緒に買い物行って欲しい とか言い出して今度の日曜日に行くことになった。 どうすれば良いかマジわからん 着ていく服無い。壷売りつけられそう助けて 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/09/26(金) 12:59:05.71 ID:+riA7RN+0 どうやらおまえはキモくないらしい
自分にとって他人は日常を彩る「コンテンツ」のひとつにすぎないと考える。 ・荻野はコンテンツとしてとても面白かった - phaのニート日記 ・電車の中で通話していたら切れられて強制下車させられたのを見た 両リンク先に共通して感じるのは、他者に対する独特の距離感だ。その気分を今風に表現したのが「コンテンツとして消費する」という言葉なんだと思う。もちろん、自分にとって世界のすべては脳が処理した情報にすぎないという考え方はまったく特別なものではない。その意味では自分が認識する世界そのものが膨大なコンテンツの集積だということになる。そうした考え方は、今となっては、ひどく古典的で素朴な世界解釈のひとつにすぎない。特筆すべきものでもないだろう。けれども、リンク先の「コンテンツ」という表現は、そこまで観念的な世界観の表明ではないように思える。 たとえば親が死んだとき、「コンテンツとして有用だった」といって
遅刻していつもより2本遅い電車に乗りかえた。転換クロスシートの4人がけになっているところ(4C)に着席、向かいの窓側(3D)には男性が座っていて、携帯電話でいろんなところに電話をかけていた。なんでも、ストレスで腸が動かないくらいになり退職したので家族やお世話になった人に連絡して回っているらしい。私はかばんからノートパソコンを取り出してPHSにつなげ、低速インターネットを楽しんでいた。 駅間のやや長い区間になったので車掌が車内を巡回し始めた。もっとも車掌室寄りの車両だったので車掌はすぐに私の真横を通り過ぎた。そのまま次の車両へ行くのかと思いきや、向かいで電話をしている人に「車内での通話はご遠慮ください」みたいな注意をした。男性はすぐには通話をやめなかったが、通路を挟んで左奥(5A)に座っていた男性が「そうだやめろ」みたいなことを大声で叫んだので、電話氏はいったん通話を止めた。電話氏が通話をや
・ 死滅病棟: ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路(archive) ・ 社会復帰支援の名を借りたいじめ - takの備忘録ついでに日記 元々「なんか面白そうな奴がいるからみんなが興味を持った。面白いから家に住ませてみた、しかし予想以上に駄目な奴でいろんなトラブルがあった」という風に面白半分でいろんな人が関わったというのが基本ラインの話なので「偽善」とかいう批判自体が的外れだなあと思った。そもそも「社会復帰支援の名を借り」た人間なんて一人もいなかった。まあ確かに目の前にすごく困っている人がいたらちょっと助けてあげたいという気持ちは少しはあったと思うけれど自分の経済力や精神力を大幅に削ってまで別に好きでもないし信用もできない人間を助ける気にはならないものだし僕の倫理観では別にそれはならなくていいものだと思う。外で会ってたまに飯を食わせるくらいだったらいいけど何か盗んで逃げそうな奴を家に
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