ブックマーク / bonjin5963.hatenablog.com (736)

  • 山上憶良の「好去好来の歌」・・・巻第5-894~896 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 894 神代(かみよ)より 言ひ伝(つ)て来(く)らく そらみつ 大和(やまと)の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国と 語り継(つ)ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高(たか)光る 日の大朝廷(おほみかど) 神(かむ)ながら 愛(め)での盛りに 天(あめ)の下 奏(まを)したまひし 家の子と 選(えら)ひたまひて 勅旨(おほみこと) 戴(いただ)き持ちて 唐国(からくに)の 遠き境(さかひ)に 遣(つか)はされ 罷(まか)りいませ 海原(うなはら)の 辺(へ)にも沖にも 神(かむ)づまり うしはきいます 諸(もろもろ)の 大御神(おほみかみ)たち 船舳(ふなのへ)に 導きまをし 天地(あめつち)の 大御神たち 大和(やまと)の 大国御魂(おほくにみたま) ひさかたの

    山上憶良の「好去好来の歌」・・・巻第5-894~896 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/15
  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(5)・・・巻第15-3745~3749 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3745 命(いのち)あらば逢ふこともあらむ我(わ)がゆゑにはだな思ひそ命だに経(へ)ば 3746 人の植(う)うる田は植ゑまさず今更(いまさら)に国別(くにわか)れして我(あ)れはいかにせむ 3747 我(わ)が宿(やど)の松の葉(は)見つつ我(あ)れ待たむ早(はや)帰りませ恋ひ死なぬとに 3748 他国(ひとくに)は住み悪(あ)しとそ言ふ速(すむや)けくはや帰りませ恋ひ死なぬとに 3749 他国(ひとくに)に君をいませていつまでか我(あ)が恋ひ居(を)らむ時の知らなく 要旨 >>> 〈3745〉命さえあれば、お逢いできる日もありましょう。私のためにそんなに強く思い悩まないで下さい、命さえ長らえていたら。 〈3746〉世間の人が植える田植えをなさらず、今になって国を別れて住むことになってしまい、私はどうすればいいのでしょう。 〈3747〉我が家の庭の松の葉を眺めながら、私は

    中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(5)・・・巻第15-3745~3749 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/14
  • 中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(4)・・・巻第15-3736~3744 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3736 遠くあれば一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も思はずてあるらむものと思ほしめすな 3737 人よりは妹(いも)ぞも悪(あ)しき恋もなくあらましものを思はしめつつ 3738 思ひつつ寝(ぬ)ればかもとなぬばたまの一夜(ひとよ)もおちず夢(いめ)にし見ゆる 3739 かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹(いも)をば見ずぞあるべくありける 3740 天地(あめつち)の神(かみ)なきものにあらばこそ我(あ)が思ふ妹(いも)に逢はず死にせめ 3741 命(いのち)をし全(また)くしあらばあり衣(きぬ)のありて後(のち)にも逢はざらめやも [一云 ありての後も] 3742 逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まで我(あ)れ恋ひ居(を)らむ 3743 旅といへば言(こと)にぞ易(やす)き少(すくな)くも妹(いも)に恋ひつつ術(すべ)なけなくに 3744 我妹子(わぎもこ

    中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(4)・・・巻第15-3736~3744 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/13
  • 石城にも隠らばともに・・・巻第16-3806 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 事しあらば小泊瀬山(をはつせやま)の石城(いはき)にも隠(こも)らばともにな思ひ我(わ)が背(せ) 要旨 >>> 二人の仲を妨げるようなことが起こったら、あの泊瀬山の岩屋に葬られるなら葬られるで、私もずっと一緒にいます。ですから心配なさらないで、あなた。 鑑賞 >>> 左注に「この歌には言い伝えがある」として次のような説明があります。あるとき娘子がいた。父母に知らせず、ひそかに男と交わった。男は女の両親の怒りを恐れ、だんだん弱気になってきた。そこで娘子はこの歌を作って男に贈り与えたという。 「事しあらば」は、二人の結婚に何かの障害が起こったら。「小泊瀬山」の「小」は美称で、奈良県桜井市初瀬にある山。「泊瀬」は葬地として知られていて、泊瀬山は共同墓地となっていました。「石城」は、墓のこと。石城に葬られるのは、しかるべき身分の者に限られていたといいます。「な思ひ」の「な」は、禁止

    石城にも隠らばともに・・・巻第16-3806 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/12
  • 東歌(28)・・・巻第14-3353~3354 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3353 麁玉(あらたま)の伎倍(きへ)の林に汝(な)を立てて行きかつましじ寐(い)を先立(さきだ)たね 3354 伎倍人(きへひと)の斑衾(まだらぶすま)に綿(わた)さはだ入りなましもの妹(いも)が小床(をどこ)に 要旨 >>> 〈3353〉麁玉のこの伎倍の林に見送るお前さんを立たせたまま行くことなどできない。まずはその前に共寝をしようではないか。 〈3354〉伎倍人のまだら模様の布団には、綿がいっぱい入っている。その綿のように、私も彼女の床の中に入りこみたいものだ。 鑑賞 >>> 遠江(とおつおうみ)の国(静岡県西部)の歌。古代、浜名湖を「遠つ淡海」、琵琶湖を「近つ淡海」と呼んでいました。「遠つ」「近つ」は都から遠い、近いの意で、その後それぞれ国名になったものです。 3353の「麁玉」は、静岡県浜松市北部から浜北市にかけての地。「伎倍」の所在は未詳ながら、古代帰化人の機織

    東歌(28)・・・巻第14-3353~3354 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/11
  • くはし妹に鮎を惜しみ・・・巻第13-3330~3332 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3330 こもくりの 泊瀬(はつせ)の川の 上(かみ)つ瀬に 鵜(う)を八(や)つ潜(かづ)け 下(しも)つ瀬に 鵜を八つ潜け 上つ瀬の 鮎(あゆ)を(く)はしめ 下つ瀬の 鮎をはしめ くはし妹(いも)に 鮎を惜(を)しみ くはし妹に 鮎を惜しみ 投(な)ぐるさの 遠(とほ)ざかり居(ゐ)て 思ふ空 安けなくに 嘆く空 安けなくに 衣(きぬ)こそば それ破(や)れぬれば 継(つ)ぎつつも またも合(あ)ふといへ 玉こそば 緒(を)の絶えぬれば くくりつつ またも合ふといへ またも逢はぬものは にしありけり 3331 こもくりの 泊瀬(はつせ)の山 青旗(あをはた)の 忍坂(おさか)の山は 走出(はしりで)の 宜(よろ)しき山の 出立(いでたち)の くはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまく惜(を)しも 3332 高山(たかやま)と 海とこそば 山ながら かくも現(うつ)しく

    くはし妹に鮎を惜しみ・・・巻第13-3330~3332 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/10
  • 物思はず道行く行くも・・・巻第13-3305~3308 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3305 物思(ものも)はず 道行く行くも 青山を 振りさけ見れば つつじ花(はな) にほへ娘子(をとめ) 桜花(さくらばな) 栄(さか)へ娘子(をとめ) 汝(な)れをそも 我(わ)れに寄すといふ 我(わ)れをもそ 汝(な)れに寄すといふ 荒山(あらやま)も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝(な)が心ゆめ 3306 いかにして恋やむものぞ天地(あめつち)の神を祈れど我(あ)れや思ひ増す 3307 しかれこそ 年の八年(やとせ)を 切り髪(かみ)の よち子を過ぎ 橘(たちばな)の ほつ枝(え)を過ぎて この川の 下(した)にも長く 汝(な)が心待て 3308 天地(あめつち)の神をも我(わ)れは祈りてき恋といふものはかつてやまずけり 要旨 >>> 〈3305〉物思いもせずに道をずんずん歩いてゆき、青々と茂る山を振り仰いでみると、そこに咲くツツジの花のように色美しい乙女よ、桜の花

    物思はず道行く行くも・・・巻第13-3305~3308 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/09
  • ゆりと言へるは否と言ふに似る・・・巻第8-1503 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 我妹子(わぎもこ)が家(いへ)の垣内(かきつ)のさ百合花(ゆりばな)ゆりと言へるは否(いな)と言ふに似る 要旨 >>> あなたの家の垣根の内に咲いている百合の花、その名のように、ゆり(後で)と言っているのは、嫌だと言っているように聞こえる。 鑑賞 >>> 紀朝臣豊河(きのあそみとよかわ)の歌。紀朝臣豊河は、天平11年(739年)に外従五位下になった人で、『万葉集』にはこの1首のみ。上3句は「ゆり」を導く序詞。「垣内」は、垣根の内。「さ百合花」の「さ」は美称。「ゆり」は、後日、後に、の意の古語。言葉の戯れのようにも聞こえますが、真剣に恋している男の歌です。 この歌について、窪田空穂は次のように言っています。「求婚ということを中に置いての男女の心理の機微を、いみじくもあらわしているものである。結婚前の女の心理として、来消極的である上に、警戒心が強く働くところから、一応躊躇するの

    ゆりと言へるは否と言ふに似る・・・巻第8-1503 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/08
  • 山人の心も知らず山人や誰・・・巻第20-4293~4294 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4293 あしひきの山行きしかば山人(やまびと)の我れに得(え)しめし山づとぞこれ 4294 あしひきの山に行きけむ山人(やまびと)の心も知らず山人や誰(たれ) 要旨 >>> 〈4293〉人里離れた山を歩いていたら、その山に住む山人が私にくれた山のお土産なのです、これは。 〈4294〉わざわざ、人里離れた山まで行かれたという山人のお気持ちもはかりかねます。お会いになった山人とは、いったい誰のことなのでしょう。 鑑賞 >>> 4293は、元正太上天皇が山村に行幸した時、上皇がお供の親王や臣下たちに「この歌に返歌を作って奏上しなさい」と仰せられながら詠んだ御歌。「あしひきの」は「山」の枕詞。「我に得しめし」は、私に与えた。「山づと」は、山で採れた土産。「山人」は、山に住んでいる人の意ですが、天皇が尊んで言っているので、ここでは仙人を意味します。この時代に流行っていた神仙思想に基づ

    山人の心も知らず山人や誰・・・巻第20-4293~4294 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/07
  • 妹すらを人妻なりと聞けば悲しも・・・巻第12-3115~3116 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3115 息の緒(を)に我(あ)が息づきし妹(いも)すらを人なりと聞けば悲しも 3116 我(わ)が故(ゆゑ)にいたくなわびそ後(のち)つひに逢はじと言ひしこともあらなくに 要旨 >>> 〈3115〉命のかぎり恋い焦がれて苦しく溜め息ついていたあなたなのに、人であったと聞くと、たまらなく悲しい。 〈3116〉私のためにそんなに嘆かないでください。これからずっと逢わないつもりだと言った覚えはありませんのに。 鑑賞 >>> 問答歌。3115は男の歌で、3116はそれに返した女の歌。3115の「息の緒に」は、命のかぎりに、命懸けで。「息づく」は、苦しそうにため息をつく。3116の「なわびそ」の「な~そ」は、禁止。「こともあらなくに」は、そのように言ったことなどありませんのに。女はそれまで人ということはいわず、男の求婚に対して生返事ばかりしていたのでしょう。人と分かってもなお

    妹すらを人妻なりと聞けば悲しも・・・巻第12-3115~3116 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/06
  • 海石榴市の八十の衢に立ち平し・・・巻第12-2951 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に立ち平(なら)し結びし紐(ひも)を解(と)かまく惜しも 要旨 >>> あの海石榴市の里の道のたくさん交わる辻で、あちこち歩き回り出逢ったあの人が、結んでくれた紐を解くのは、あまりに惜しいことだ。 鑑賞 >>> 「海石榴市」は、奈良県桜井市金屋にあったとされます。古代の市場は樹木との関係が深く、海石榴(つばき)は山茶花(さざんか)のことです。市は、山人がやって来て鎮魂していく所でもあり、その山人が携えてきた杖が、おそらく山茶花の杖だったのでしょう。 また、市は歌垣(かがい)が行われる所でもありました。つまり、ここに集まった男女が、好む相手を見つけて乱交したわけです。できあがったカップルは他国や別の村の男女どうしであり、別れるときに相手が結んでくれた紐は、それぞれの血筋で独特の結び方があって、それを解くのが惜しいという気持ちを歌っ

    海石榴市の八十の衢に立ち平し・・・巻第12-2951 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/05
  • 逢へる時さへ面隠しする・・・巻第12-2916 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 玉勝間(たまかつま)逢はむといふは誰(たれ)なるか逢へる時さへ面隠(おもかく)しする 要旨 >>> 私に逢おうといったのは一体誰なのだろう、それなのに、せっかく逢ったのに顔を隠したりなんかして。 鑑賞 >>> 男が女に言った歌。「玉勝間」の「玉」は美称で「勝間」は籠のこと。その蓋がしっくり合うことから「逢ふ」に掛かる枕詞。「面隠し」は、恥じらいから顔を隠すこと。 この歌について斎藤茂吉は、「男女間の微妙な会話をまのあたり聞くような気持ちのする歌である。これは男が女に向かって言っているのだが、言われている女の甘い行為までが、ありありと目に見えるような表現である」と言っています。明るく楽しく、ほほえましい歌です。 斎藤茂吉について 斎藤茂吉(1882年~1953年)は大正から昭和前期にかけて活躍した歌人(精神科医でもある)で、近代短歌を確立した人です。高校時代に正岡子規の歌集に接

    逢へる時さへ面隠しする・・・巻第12-2916 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/04
  • 成らむや君と問ひし子らはも・・・巻第11-2489 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 橘(たちばな)の(もと)に我(わ)を立て下枝(しづえ)取り成(な)らむや君と問ひし子らはも 要旨 >>> 橘の木の下に私を向かい合って立たせて、下枝をつかみ、この橘のように私たちの仲も実るでしょうか、と問いかけたあの子だったのに。 鑑賞 >>> 『柿人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「我を立て」を「我が立ち」と訓み、「二人で立って」と解釈する説もあります。「成らむや君」の「成る」は、橘の実が熟することと二人の恋が成就することを掛けたもの。「問ひし子らはも」の「子ら」の「ら」は、接尾語。男は女がその後どうなったのか知らないとみられ、若かったころの思い出の一コマを歌っている歌です。 相聞歌の表現方法 『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で

    成らむや君と問ひし子らはも・・・巻第11-2489 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/03
    毎朝、この貴殿のブログを拝読するようになって、だいぶたちました。わたしのココロにも、すこしは万葉のココロが育ってきたかな、などと思っています。
  • 我が玉にせむ知れる時だに・・・巻第11-2446~2447 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 2446 白玉(しらたま)を巻(ま)きてぞ持てる今よりは我(わ)が玉にせむ知れる時だに 2447 白玉(しらたま)を手に巻(ま)きしより忘れじと思ひけらくは何か終(をは)らむ 要旨 >>> 〈2446〉白玉を腕に巻いている今からは、私だけの玉にしよう。せめてこの間だけでも。 〈2447〉白玉を腕に巻いた時から、この玉のことを決して忘れるものかと思ったことは、いつ果てることがあろうか、ありはしない。 鑑賞 >>> 『柿人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」2首、すなわち、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌です。「白玉」は、真珠のこと。2446の上2句は女と共寝したことの譬え。「知れる時だに」は、関係している間だけでも。相手の女は遊行女婦だったかもしれません。2447は連作で、2446は女に逢った時、2447は別れる時の歌とみられます。 『万葉集』の三大部立

    我が玉にせむ知れる時だに・・・巻第11-2446~2447 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/02
  • たらちねの母が手放れ斯くばかり・・・巻第11-2368 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> たらちねの母が手放れ斯(か)くばかり術(すべ)なき事(こと)はいまだ為(せ)なくに 要旨 >>> 物心がつき、母の手を離れてから、これほどどうしていいか分からないことは、未だしたことがありません。 鑑賞 >>> 『柿人麻呂歌集』から、「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「たらちねの」は「母」の枕詞。「いまだ為なくに」は、まだしたことがないのに。切実な思いを歌っており、男の歌か女の歌か分かりませんが、年ごろになったものの未だ独り立ちできず、すぐに母を連想する若い娘の歌とみるべきでしょう。また、この歌を初体験の歌だとみる人もいるようです。相手の男に訴えている歌でしょうか。 斎藤茂吉は、「憶良が熊凝(くまこり)を悲しんだ歌に、「たらちしや母が手離れ」(巻第5-886)といったのは、この歌を学んだものであろう」と言っています。 『柿人麻呂歌集』について 『万葉集』には題詞

    たらちねの母が手放れ斯くばかり・・・巻第11-2368 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/04/01
  • 肩のまよひは誰れか取り見む・・・巻第7-1265 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 今年行く新防人(にひさきもり)が麻衣(あさごろも)肩のまよひは誰(た)れか取り見む 要旨 >>> 今年送られていく新しい防人の麻の衣の肩のほつれは、いったい誰が繕ってやるのだろうか。 鑑賞 >>> 「新防人」は、新しく徴発されて筑紫に派遣される防人。「まよひ」は、布の織り糸がほつれること。「誰か取り見む」は、誰が世話するのだろうか。作者は防人の出発を見送っている第三者とみられ、3年間の苦役に従事しなくてはならない男をあわれんでいます。詩人の大岡信は、「他のことは言わず、肩のほつれのことを想いやって言っているこまやかさは、女でなければなるまい」と言っています。 防人について 防人(さきもり)は、663年に百済救済のために出兵した白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたのを機に、北九州沿岸の防衛のため、軍防令が発せられて設置されました。大宰府に防人司(さきもりのつかさ)が置かれ、防人

    肩のまよひは誰れか取り見む・・・巻第7-1265 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/03/31
  • 妻呼ぶ声のともしくもあるを・・・巻第8-1562~1563 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1562 誰(たれ)聞きつこゆ鳴き渡る雁(かり)がねの呼ぶ声のともしくもあるを 1563 聞きつやと妹(いも)が問はせる雁(かり)がねはまことも遠く雲隠(くもがく)るなり 要旨 >>> 〈1562〉どなたかお聞きでしょうか、ここから鳴き渡って行く雁のを呼ぶ声を。うらやましいことです。 〈1563〉あなたが鳴くのを聞いたかとお尋ねの雁は、まことにも遠く、雲の間に隠れています。 鑑賞 >>> 1562は、巫部麻蘇娘子(かむなぎべのまそのおとめ:伝未詳)が、大伴家持に贈った歌。1563は、家持が返した歌。 1562の「こゆ」は、ここから。「雁がね」は、雁。「ともしく」は、うらやましく。家持に疎遠にされていることを嘆き、雁のように呼ぶ声を聞かせてもらいたいとの意が込められています。1563の「問はせる」の「せ」は、尊敬の助動詞。「まことも」は、まことにも。娘子の歌に対し、ずいぶ

    妻呼ぶ声のともしくもあるを・・・巻第8-1562~1563 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/03/30
  • 防人の歌(16)・・・巻第20-4357~4359 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 4357 葦垣(あしがき)の隈処(くまと)に立ちて我妹子(わぎもこ)が袖(そで)もしほほに泣きしぞ思(も)はゆ 4358 大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み出(い)で来れば我(わ)の取り付きて言ひし子なはも 4359 筑紫辺(つくしへ)に舳(へ)向(む)かる船のいつしかも仕(つか)へまつりて国に舳(へ)向(む)かも 要旨 >>> 〈4357〉葦の垣根の隈に立って、愛しいが袖もぐっしょり濡れるほどに泣いた。その姿が思い出されてならない。 〈4358〉大君の仰せを恐れ畏んで旅立つその時に、私にしがみついてあれこれ訴えていた可愛い女よ、ああ。 〈4359〉筑紫の方角に舳先を向けて進む船は、いつかになったら任務を終えて、故郷へ舳先が向くのだろうか。 鑑賞 >>> 上総国の防人の歌。作者は、4357が同国市原郡(いちはらのこおり)の刑部直千国(おさかべのあたいちくに)、43

    防人の歌(16)・・・巻第20-4357~4359 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/03/29
  • 国のはたてに咲きにける桜の花の・・・巻第8-1429~1430 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1429 娘子(をとめ)らが かざしのために 風流士(みやびを)の 縵(かづら)のためと 敷きませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほひはもあなに 1430 去年(こぞ)の春(はる)逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へ来(く)らしも 要旨 >>> 〈1429〉娘子たちの挿頭(かざし)のためにと、また風流な男子の髪飾りのためにと、天皇がお治めになる国の果てまで咲く、桜の花の色の何と美しいこと。 〈1430〉去年の春にお逢いしたあなたに恋い焦がれて、桜の花はあなたをお迎えするために来ているようです。 鑑賞 >>> 「桜花の歌」。左注に、若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)が口誦したとある長歌と反歌で、宴席で誦した歌のようです。若宮年魚麻呂は伝未詳ですが、よく山部赤人の歌に並んで載っていることから、赤人と何らかの関りがあった人かもしれません。 1429の「風流士」は、風流を解す

    国のはたてに咲きにける桜の花の・・・巻第8-1429~1430 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/03/28
  • 花なる時に逢はましものを・・・巻第8-1492 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 君が家の花橘(はなたちばな)は成りにけり花なる時に逢はましものを 要旨 >>> あなたの家の花橘は、もう実になってしまったのですね。花の咲いているうちにお逢いしたかったのに・・・。 鑑賞 >>> 作者は遊行女婦とだけあり、名前は分かりません。「君」は、大伴家持を指しているかともいわれます。「なり」は、実になる意で、結婚の譬え、「花なる時」は、独身の青春時代の譬え。男性がすでに家庭を持っているのを知って「もっと前からお逢いしたかった」と言っています。宴席での歌だったかもしれません。 遊行女婦について 「遊行女婦」の「遊び」とは、元々、鎮魂と招魂のために歌と舞を演じる儀礼、つまり祭りの場に来臨した神をもてなし、神の心なぐさめる種々の行為を意味しました。「宴」が「遊び」とされたのも、宴が祭りの場に起源をもつからです。 そうした饗宴の場には、男性と共に女性も必要とされました。ところが

    花なる時に逢はましものを・・・巻第8-1492 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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    ma2no_z32 2023/03/27