2019年8月19日のブックマーク (5件)

  • いろんな酢炒め~照り焼きはすし酢で作れる~

    1978年東京生まれ。酒場ライター。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター・スズキナオとのユニット「酒の穴」としても活動中。 前の記事:川辺のセルフサービスフレンチ~東急沿線さんぽ あたし黙ってたけどもう言う!この夏は疲れちゃったからカンタン酢で鶏モモ肉を焼くだけにしてるって!肉焼き付けたところに適当に回しかけて煮からめるだけ、甘酸っぱしょっぱくてお弁当にも入れられて料理べたには最高、スーパーで友達に聞いてその場で買ったんだけど、公式レシピでもあるらしい! pic.twitter.com/qaonZI8QmA — 古賀及子 8/25(日)COMITIA129 Q01a (@eatmorecakes) August 6, 2019 「カンタン酢」以外の酢でも試したいと思います。 選手入場 家にあったりスーパーをめぐったりして揃えたお酢たちはこちらの8品。 ぜ~んぶ、酢!

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    machida77
    machida77 2019/08/19
    調味酢で焼いた時の違い色々
  • 検察官・裁判官も「凡ミス」をする 年に数件「非常上告」ってなに? - 弁護士ドットコムニュース

    有罪が確定した裁判に間違いが見つかった場合、どうなるのだろう。最近、こんな事例があった。 最高裁第二小法廷(三浦守裁判長)は8月9日付で、罰金を科した略式命令は間違いだったとして、道路交通法違反に問われた10年前の事件(確定は2010年)で、無罪を言い渡した。 この事件では、無免許のまま小型特殊自動車でトレーラーを牽引したとして、罰金25万円の略式命令が確定していた。しかし、小型特殊車には牽引免許は不要。検察官と裁判官が明らかな法律の間違いを犯していたということだ。 今回の判決は「非常上告」という手続きでくだされたもの。年に1件しかないこともある、レアなケースだ。 確定判決の間違いでは、裁判をやり直す「再審」という手続きもあるが、一体どう違うのか。 ●非常上告、略式命令で多い 両者の違いを大まかに示すと、非常上告は「法令違反」があったとき、再審は「事実認定の誤り」があったときの仕組みだ。

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    machida77
    machida77 2019/08/19
  • 技能実習、違法謝礼横行か 監理団体に及び腰の派遣機関:朝日新聞デジタル

    外国人技能実習制度をめぐり、日で受け入れを担う「監理団体」が、途上国で実習生を集める「送り出し機関」から違法な謝礼を受け取るケースがあり、問題になっている。そうした現状の一端が取材で分かった。(機動特派員・織田一、岩田誠司) 「これを見てください」 技能実習制度の取材で、ミャンマーの人材派遣会社の幹部が見せたのは「裏帳簿」の一部だった。同社は、実習生を日へ派遣する「送り出し機関」としてミャンマー政府に認定されている。裏帳簿は送り出し機関としての記録だ。 書かれていたのは、派遣手続…

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    machida77 2019/08/19
  • 新たな書状発見 豊臣秀吉 切腹直前の秀次の息子を「要職に」 | NHKニュース

    豊臣秀吉が、養子の秀次が切腹する3か月ほど前に、その息子を要職に就かせると発言していたことを示す書状が新たに見つかりました。秀吉は、実子の秀頼が生まれたことで秀次と不仲になったというのが通説ですが、調査にあたった専門家は「秀吉が簡単に秀次一家を潰そうとしていなかったことを示す意味のある発見だ」と指摘しています。 その結果、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉の側近、木下吉隆が毛利輝元に送った書状と判断され、この中に、豊臣秀次の息子を今の奈良県にあたる大和の国主にするという秀吉の発言が記されていたということです。 秀次は、跡継ぎのいなかった秀吉の養子になったあと、関白の職についていましたが、この書状が書かれた3か月ほどあとに謹慎させられ切腹し、や子どもも処刑されました。 村井准教授によりますと、秀吉と秀次は、この2年前に秀吉の実子、秀頼が生まれたことをきっかけに不仲になったというのが通説ですが

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    machida77 2019/08/19
  • ポルシェ“起源”の車 18億円余で入札も 売買成立せず | NHKニュース

    高級スポーツカーの代名詞とも言えるポルシェ。その起源となる車がアメリカでオークションにかけられ、日円にして18億円余りの値がつきましたが、最低落札価格に届かず、売買は成立しませんでした。 いまから80年前の1939年、ナチス政権下のドイツで、国威発揚のため、ベルリンとローマを結ぶ自動車レースに向けて作られましたが、第2次世界大戦の勃発によってレースは中止となり、ポルシェ家の自家用車となりました。 車のボディーは流れる雲を思わせる滑らかな流線型で、のちに世界中のファンをとりこにするポルシェの原型となりました。 この車はカーレーサーなどの所有を経て、17日、アメリカ・カリフォルニア州でオークションにかけられました。 威勢のいいかけ声とともに価格は瞬く間に上昇し、最高入札価格は1700万ドル、日円にして18億円余りに達しました。 参加者からはどよめきの声が上がりましたが、地元メディアによりま

    ポルシェ“起源”の車 18億円余で入札も 売買成立せず | NHKニュース
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    machida77 2019/08/19