あとで読むに関するmaelstromのブックマーク (2)

  • 公共空間の消失とアイデンティティの時代を生きる - 京太郎のブログ

    0.なぜいま公共について考えるのか なぜ今公共概念を問う必要があるのかと言えば、公共という概念が消失しているということを通して「左翼と右翼の対立」を問い直す必要があるからだ。 私がこれから言及するリベラリズムという概念は一般に膾炙している「リベラリズム」とは少しずれた意味で使われているということである。というのも、一般的にリベラルという言葉は、かなり曖昧に、時に左翼という概念と混同されて語られているのである。政治学的な意味でのリベラリズムは、そうした一般的によく使われる「リベラリズム」とは少し違うのであるが、「左翼と右翼の対立」という図式が「リベラリズム」を左翼の類似物として同じ枠組みに入れてしまうのである。 よって、私がこれから一見してリベラルに対して批判的な見解を展開したとしてもそれはインターネットにいる知識人もどきの「リベラリスト批判」にそのまま接続するわけではないというわけではない

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  • コミケは差別と対峙できるか? ヘイトスピーチへの反対表明すら「表現の自由」を掲げ抵抗する声の大きな人たち - wezzy|ウェジー

    2019.02.02 20:05 コミケは差別と対峙できるか? ヘイトスピーチへの反対表明すら「表現の自由」を掲げ抵抗する声の大きな人たち 1. 「差別張り紙事件」の顛末 2018年末から2019年にかけて、現代における人種差別や性差別の現状をまざまざと見せつけられる事態が次々と起こっています。例えば、高名なフォトジャーナリストである広河隆一による性暴力事件、『週刊SPA!』(扶桑社)における「ヤレる女子大生」なる特集の発覚、山梨大学学長によるヘイトスピーチを含む新年のあいさつなどです。 それと並行して、政府の動向に反対する女性芸能人や学生の行動が大々的なバッシングにあったりと、社会的に弱い立場の人々が声を上げることに対するバッシングも後を絶ちません。 そのような状況の中で、私も所属している、同人誌の世界においても、そのような問題が起こりました。それは、2018年末に東京ビッグサイトにて開

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