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SNSと増田に関するmame-tanukiのブックマーク (5)

  • ずっと同じアカウント使ってる人すごい

    はてなとかTwitterでずっと同じアカウント使ってる人たちいるよね。20年近くやってるのでは。40代50代でしょ、みんな。 久しぶりにはてブ見たとき昔と同じアカウントがコメントしていてびっくりする。よくそんなに長く続けられるよね。 自分はすぐアカウント変えてしまう。 誰かと揉めたりしたときはもちろんすぐアカウント消して作り直すし、何年かやって誰かと親しくなったりしても人間関係がめんどくさくなって結局アカウント消して作り直す。 とにかく人間関係リセットしたくなるときが数ヶ月から数年に一度やってくる感じ。 ずっと同じアカウント使ってる人たちはほんとにすごい。人間関係切らないでよくやってられるね。 自分の場合、完全な孤独もつらいけど、仕事以外で人とつながるのもつらいって感じなんだよなあ。独身で友達もいなくて今後孤独に死んでいくのは決定している……。 なんとなく完全な孤独じゃないってことだけが重

    ずっと同じアカウント使ってる人すごい
    mame-tanuki
    mame-tanuki 2023/01/28
    リアルの人間関係は何度かリセットし年賀状も既読スルーしてるけど、ネットでは面倒になる程の人間関係を築けてないし避けて来たかな。OFF会は一度行って「一度顔を合わせたら何かやり辛い」と感じて以来、避けてるし
  • Twitterは最早オタクのものじゃない

    いろいろあって燃え上がったツイートがあった。 自分はその発端になったツイートは見ていないが、トレンドになる程度には話題になって物議を醸した。 その話題に対してオタクが大喜利のように茶化して、また叩かれたりもした。 よく見る光景といえばよく見る光景である。しかし正直私はこの一連の流れに辟易としている。 が、まぁ今はそういう時代なんだろうなとも思う。 私は古いオタクである。ツイッターがまだRTを実装していないような時代に1つ目のアカウントを作った。 ユーザは元々インターネットにどっぷり浸かっているようなオタクばかり。 2ちゃんやら個人ブログ個人サイトやらの延長で初めた人ばかりだっただろう。 tweet、さえずり、つまり独り言だ。 初めはRTも画像投稿もない時代、当に独り言を横から勝手に見るサービスでしかなかった。 非公式RTなるコピペでRTする方々も存在していたが、それにしても拡散性は低く、

    Twitterは最早オタクのものじゃない
    mame-tanuki
    mame-tanuki 2020/09/02
    Twitterに限らないネットサービスあるある。サービス開始当初は近い世代、近い情報感度の共通性の高い「オタク」が共有してたハイコンテクストの楽しさが、ユーザー層の拡大で楽しさをスケール出来ない、みたいな。
  • はてなユーザーでわからないこと

    なんでみんなそんなに星が欲しいの。 たくさんもらってもメリットがなさ過ぎる。換金できない、知り合いに自慢もできない、たくさん集めてもランクアップ等しない。ランキングもなくスコアアタック的な楽しみもできない。不完全な通知が出るだけで、付いた星の確認すらままならない。 仕様にゲーミフィケーションの要素が全くない。自分もゲームやサービスの設計やってるけど、ユーザーにして欲しいことにどうやってモチベーション付けるか大変なんだよ。 はてなは何もせずうまくいっていてうらやましい限りだが、どういうロジックでそうなっているのかわからないので真似ることもできず困っている。

    はてなユーザーでわからないこと
    mame-tanuki
    mame-tanuki 2017/11/24
    「はてなスターに群がるはてなー」って状況は単純なロジックじゃ再現不能。実際はてな社にヒット作は続かなかった。あの時インターネッツの片隅に承認欲求を互助し合える人々の「村」があった偶然が生んだ奇跡(笑)
  • 四年ほど仲良くしていたネットの友人に会うことを拒否された

    私は女で相手は男だ。私には今年で三年の付き合いになる彼氏がいるし、相手には半年近く続いている彼女がいる。 相手は東京在住で、私は地方都市在住だ。相手の住所を知っているし、相手も私の住所を知っている。それくらいの間柄だ。 趣味友達を探そうと登録したミクシーで出会ったのがそいつで、私とそいつはすぐに仲良くなった。四年ほど登録していたミクシーでいちばん仲良くなった人だ。 そいつは冗談をよくいう人で「結婚したい」とか「いつか一緒に住みたい」なんてことをよくチャットで送っていた。 よく女遊びをしているというし、ちょっとした冗談なのだろうと流していたけど、 「もし30くらいになってお互い相手がいなかったら一緒に住もう」これだけは、なんとなく信じていた。 「だから、お互い生きるのがつらくても生きていけたらいいね」そんな些細な言葉が希望になった。 もちろん、この感情は恋愛感情ではない。もし恋愛感情だと自

    四年ほど仲良くしていたネットの友人に会うことを拒否された
    mame-tanuki
    mame-tanuki 2015/03/23
    ウェブ時代版「大きな玉ねぎの下で」
  • 誰か教えてください

    私はtwitterもFacebookもやっていない。 別段やりたいとも思わなければやる必要性を感じたこともないから。 まして今は二人の幼子の子育て中だ。 目の前の生活が大切であり目の前の生活で精一杯でありそこにいない誰かとのつながりなどどうでもよい。 用があればその相手には直接メールなり電話なりすればよい。 用もないのに生活の断片を垂れ流し知らせる必要もない。 メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更コミュニケートする必要性を感じない。 しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。 世の中の多くの人がtwitterやFacebookに興じているところをみると、 私のような人間の方が少数派なのであろう。 そう思っていた。 だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。 そんなにtwitterやFacebookは大切なものなのか。 そんなに常に見

    誰か教えてください
    mame-tanuki
    mame-tanuki 2012/07/23
    これぞ増田文学!
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