書名にひかれ、 『自由か、さもなくば幸福か? 21世紀の〈あり得べき社会〉を問う』 大屋雄裕・著 という本を読んだ。 「自由」も「幸福」もとてもたいせつだけど、どちらも客観的でもあり 主観的でもある。 「ある」といえばあるし、「ない」といえばない。 (実際は程度の問題かもしれない) 主観のほうに目をむければ、感情の問題になる。 「自由(不自由)」な感じ、「幸せ(不幸せ)な」感じというふうに。 個人のレベルではそうだとしても、(自分が生きている)社会ではどうだろうか。 (社会というものは客観的に存在する。「感じ」ではない。 「貧困」「差別」など何らかの社会問題が存在すれば、その被害者は《第三者からみれば、 つまり客観的には》「自由」「幸福」とは思えない。「不自由」「不幸」にみえる。 でも、自分がその問題の被害者でなければ、またその社会問題がほかの地域、ほかの時代と比べてマシ だと感じればそ