いつ終息するか見通せない「コロナ禍」のなか、私たちは重苦しい日々を怯えながら送っている。その恐怖と、ウイルスの本性がまだ見極められていないことの裏返しとみられる偏見や差別が、医療従事者に向けられた。現時点でもなくなっていないそうした出来事は、人の心の暗部を見せつけているようで何ともやるせない。一筋の光明は高い有効性が報告されているワクチンがあることだが、そうした出口が見えなかった時代、得体の知れない病への恐怖は、より悲劇的な結末を招いていた。事件を語るのは、明治初期のコレラ禍のさなかで殺された医師を悼む千葉県鴨川市の「烈医沼野玄昌先生弔魂碑」である。 コレラ菌が引き起こした大流行は、日本では1822(文政5)年を皮切りに1858(安政5)年、1862(文久2)年と続いた。さらに1877(明治10)年の大流行はその年に勃発した西南戦争の帰還兵が全国にもたらした。千葉県の鴨川町(当時)でも9月