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ブックマーク / yamanekobunko.blog.fc2.com (4)

  • 山猫文庫第3版

    このブログは、山男爵がつづるものです。 書評(軍事・SF・その他)と日々の記録のほか、歴史や軍事、水産資源など興味を持ったことについての記事を書き、以下のような連載読み物も公開しています。モットーは「鳥無き里の蝙蝠」。 「スペイン内戦と海軍」(編29回+参考文献+年表) 大戦前夜に無敵艦隊の末裔と欧州列強海軍が描いた、航跡図の切れ端。 「リーフ共和国興亡」(全14回) 1920年代スペイン領モロッコで繰り広げられた独立闘争「リーフ戦争」。 アルセマス上陸作戦は、米海兵隊も参考にした両用作戦である。 「帝国の守護者」(編11回+外伝3回) 落日のポルトガル海上帝国を護った砲艦列伝。 外伝はポルトガル領東ティモールに関わったオランダ海防戦艦について。 「回転翼の海鳥たち」(全20回) 回転翼機が甲板上に地位を占めるまでの、意外に知られざる進化史。 「ノモンハン捕虜の運命」(序+編9回)

  • 戦史叢書の改訂版のこと - 山猫文庫第3版

    昨日の記事で「戦史叢書」について改訂版が出ると書いたのですが、その後に気になって防衛研究所の公開情報を確認したところ、あまり期待しすぎないほうが良いみたいです。 改訂版がでるという情報のソースとしては、2003年8月12日の読売新聞の報道があります。読売新聞によれば、戦後の安全保障なども盛り込んだ全面改訂版をCD-ROMの形で出すといい、「約10年後」(当時。つまり2013年頃)に1巻目を出したいとなっていました。 ところが、当の防衛省防衛研究所戦史部(今の「戦史叢書」を出した時には防衛庁防衛研修所戦史室だった部署)は、この読売報道よりあとの時期に、戦史叢書の改訂版や要約版の発行について、戦史部の能力・組織・時間的に多くの困難があるとしています。これは、2007年(平成19年)に戦史部主催で行われた戦争史研究国際フォーラムにおいて、加賀谷貞司戦史部長が、議長総括の中で述べているものです(注

  • 鋼棺戦史(第1部ノモンハン・第4章・中編) - 山猫文庫第3版

    4.フイ高地の死闘(承前) 7月10日、第23師団捜索隊に対する新たな任務として、ノモンハン北西に15km以上と大きく離れたフイ高地(721高地)の占領が命じられます(地図はこちら)。師団の翼端援護という騎兵らしい任務です。日軍は7月7日から歩兵夜襲を主力とした攻撃を実施中で、戦闘は峠を越えたと楽観視しており、捜索隊への命令は国境線確立のためのいわば「掃討戦」の一環でもあったと思われます。フイ高地は、7月初旬の渡河作戦に先立って、他の歩兵部隊によって一旦は占領されていましたが、渡河作戦中止のために放棄されていました。その後にモンゴル第6騎兵師団の一部がハルハ川を渡って再進出していたようです。 将軍廟付近にいた師団捜索隊は、井置中佐の指揮の下で全力出撃します。このときに撮影されたらしい写真があり、それが左掲のものです(注1)。95式軽戦車(北満型)1両と92式重装甲車3両が写っています。毎

    maroon_lance
    maroon_lance 2009/12/13
    毎日フォトバンク
  • 鋼棺戦史(第1部ノモンハン・第1章・後編) - 山猫文庫第3版

    1.軽騎兵の突撃(承前) 5月29日0030時、小松原第23師団長は、山県支隊の攻撃が成功してソ蒙軍はほぼ一掃されたと誤認して、ハイラルへの帰還命令を発しました。それどころではない山県支隊長は、もう1日だけ攻撃を続ける旨を報告します。 同日未明、増援の第149狙撃連隊の到着したソ連軍は、取り残されている東捜索隊に攻撃を再開します(*1)。夜間のうちに壕を掘り直して、ささやかな強化を施した東捜索隊の陣地に、自走砲と対岸の砲兵の砲弾が降り注ぎます。うち自走砲中隊が、日側の車両置場に効果的な砲撃を加えました。0600時には車両置場への着弾が相次ぎ、乗用車が発火、5日分の予備燃料を積んだトラックも炎上、貴重な92式重装甲車も含めて車両は全損してしまいました。 歩戦協同の攻撃も反復されました。特に化学戦車による火炎放射が脅威を与えたようです。接近してくるソ連軍装甲車両に対して、日兵は重装甲車が健

    maroon_lance
    maroon_lance 2009/11/25
    「ブイコフ上級中尉は戦意不十分などの理由で後方部隊へ左遷されますが、幸運にも死刑は免れ、極東戦犯法廷(東京裁判)に証人として出廷しています」
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