ラウル、ロナウドにも“負けない”DF その日は初夏だというのに、肌が痛いほどの日差しだった。 みなとみらいにあるマリノスタウンでの練習を終えた彼は、チームの駐車場を素通りした。愛車が修理中のため、徒歩で裏道から市営地下鉄の横浜駅に向かう。群馬の桐生市の生まれだが、高校卒業後は16年間も横浜で暮らし、獅子ヶ谷に練習場があった新人の頃は電車を使っていたこともあり、足取りは軽快だ。道すがら、チームの“親会社”である日産の新車展示場で、何気なく手渡されたチラシを彼は受け取る。 「俺は他人を認めずにやってきたと思う」 彼はチラシをポケットにしまいながら、さりげなく信条を口にした。 「だから練習でも“今日死んでもいい”というところまで追い込んでやって来た。いつも自分に問いかけた。“あなたはグラウンドで一番でしたか? 練習中、一番戦っていましたか?”って。周りにどう言われようが、妥協したくなかったから、