村上隆「美術における「意味の無意味の意味」をめぐって : アウラの捏造を考察する」 美術の「無意味の意味」とは、意味を付与する事によって、延命を図ってきたがゆえに行き止まり的な状況に陥っている美術を、意味から解放し、再びその危うさゆえのパワーをもたらすこと。 この考えは椿昇より与えられた。 “意味”とは隔たりを持ち、純粋に表現に殉ずるホルスト・ヤンセン 奇形的な美術ゆえの可能性 「物語は終わった」と書くことそのものが物語の最たるものであるというパラドクスを抱えつつも、当時の私が目指していたこの“終わり”とはなんであったか。それは、その物語が必然的に受け持たざるを得ない、序文、本文、結末という定められた流れそのものを解体してしまいたい欲望の現れに他ならなかった。(それは映画においての物語の解体の前進がもはや進みようが無いことを思うとき、せめて、時間軸によってそれほど拘束されない美術において、