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身体に関するmassunnkのブックマーク (18)

  • そうだ、断食に行こう - wHite_caKe

    はじめに 私シロイは先月、ちょっと断をしてまいりました。実はこれは人生二回目の断でして、2006年5月にも断を行ったことがあります。 さて。 断療法ってのは、いろんなところがやっていまして、いろんなプランがあるのですが、前回断する前に調べてみたところ、大体こんなことがわかりました。 断で変化した身体を急激に戻すと、負担が大きく、ゆっくりと戻していくのが安全である それゆえ断療法は断そのものよりも、断後の回復の段階が重要である 1泊2日、3泊4日、約一週間などの短期プランもたくさんあるのだが、安全な断には回復の時間をじゅうぶんにとることが望ましく、できれば二週間以上のプラン(断前の準備段階2日、断6日、回復6日)にするのがベスト。 というわけで2006年、私は二週間の断に挑戦したわけですがー。 そこでナニがあったのかナニもなかったのか、断真っ最中の人間が脳に

    そうだ、断食に行こう - wHite_caKe
    massunnk
    massunnk 2009/06/27
    ちょっと興味持ってしまったw
  • ATLAS | 本質と体系化

    内田樹『私の身体は頭がいい』を熟読中。 なかなか面白いです。 武術のめざす境地と、哲学理論は同じであるという結論に共感。 武術において、技術だけでもなく、理屈もわからないと、「当に体得した=分かった」ことにはならない。 それは演劇と同じ。 理論だけでは、頭でっかちで身体がついていかない。 身体だけでは、自分が何をしてるか理解できない。 なぜこういう動きをするかを理解して、身体の部位を意識して動くと、密度が濃くなり、より深みへと達する。 確信して実行する。 これが大事。 目指す境地を知り、自分の立ち位置=現在地をマッピングする。 それには「大きな地図」を持つ必要がある。 大きな地図でなければ、見通しがきかない。 大きな地図を持つために、理論を学び、知識を体系化する必要がある。 自分には知らないものがあると、知ること。 世界の広さ、

    massunnk
    massunnk 2009/01/10
    「大きな地図」
  • 赤の女王とお茶を - 「楽器としての声」を操るミュージシャン達

    I.「彼女」は楽器なのか?――楽器としての声を好むオタク ボーカロイドというコンセプト自体は目新しいものではないですが、機能とデザインと時代が合致したのが「初音ミク」なんでしょうね。 私自身は多分手を出さないと思いますが、上記エントリの中の「楽器としての声」という箇所にはアンテナが反応しました。 好きなんですよね〜、「器楽的な声」ってやつが。 もともと人間の声というものは最強の「楽器」ではあるのですが、やっぱりいろいろと限界はあるわけで、それを補う形で「器楽」が発達します。 音程、音色、音域、リズムなど、人間の声を個々には超えた部分を持ち、それでも器楽奏者は人間の声をお手にしてきました。 ところがそうやって高度に発達した「器楽」を、「声」の中に逆輸入し始めたミュージシャン達がいます。 近代において器楽的なボーカル奏法を確立したのは、やっぱりジャズ。 ジャズ・トランペットの父ルイ・アームス

    赤の女王とお茶を - 「楽器としての声」を操るミュージシャン達
  • 記号性と身体性のバランス - onoya's blog

    Perfumeのことを全く知らない分際で書くのだが、Perfumeアイドルとして見るとき、PVも含めた曲のイメージでは、極端に機械的で人間味がなくて、身体性がなくてアイドルとしての権威(代替不可能性)を感じないのだが、ライブでのMCをちょっと聞いたところでは、そこでは曲と大きなギャップがあって、人間性・身体性がはっきりと顕わになる。むしろそこにこそアイドルPerfumeの魅力があるのだろうと推測する。ギャップ・ズレ。それってハロプロでもキーワードだったはずだ。 中川翔子が、マスメディアでの露出のほかに、ブログでほとんど自らのプライベートを明かしているかのようにする試みと同様、アイドルとして、メインとなるイメージを生み出す場の他に、それを覆す裏の場を自ら設けること。そうすることによって記号性と身体性のバランスをとるということ。 ハローでは今それがうまく機能しない。裏の場を週刊誌にコントロ

    記号性と身体性のバランス - onoya's blog
    massunnk
    massunnk 2007/08/29
    大塚英志が「漫画」において言ってたことにつながる
  • 自分がなんでアイマス房に違和感を覚えるか - 続・鈴木妄想なんじゃもん

    最近、またPerfumeについてのいろんなブログ上のやりとりが盛んになってて なんちゅーか面白いなぁと思うのですが、これは前から感じていて id:hunirakuniraさんの記事からはじまって、自分の気持ちをまとめることにした アイマスPerfumeについてのコト どこから話したらいいんだろうか?まず自分の率直な気持ちからだろうか 自分の中では、もうこれはどうしようもなく 三次元>>(越えられない壁)>>二次元 なんですよ もうこの時点でそうとうアイマス問題については態度変わると思う アニメ音楽に注目はしてるし、時かけ面白かったけど、アニメ自体は今は全然興味ない ブレイクビーツで踊れるが、らき☆すたの面白さはワカラン(これは少し話し違うw んで、アイマスも、かわいい絵だね、と思う程度でデスね あのキャラクター達に、まったく思い入れを持てない アニメやゲームのキャラに、現実の人間に対する

    自分がなんでアイマス房に違和感を覚えるか - 続・鈴木妄想なんじゃもん
  • 雑誌『談』編集長によるBlog : 『談』no.79号が8月20日発行になります。

    2007年08月17日13:55 カテゴリインフォメーション身体 『談』no.79号が8月20日発行になります。 『談』no.79が発行になります!! 8月20日発行!! 書店発売は21日です。 特集 〈祝祭〉する身体---陶酔と暴力のはざまで 定価[800円+税] 「私の身体が私の身体であって私の身体ではなくなる」 トップアスリートの誰もが体験する「エクスターズ」の瞬間を 暴力、熱狂、陶酔から解き明かす。 私は誰の身体なのか。いや、そもそも、私とは何ものなのか。 ●清水諭(筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授/スポーツ社会学) 祝祭としてのスポーツ 『甲子園野球のアルケオロジー スポーツの「物語」・メデイア・身体文化』(新評論)でスポーツのカルチュラルスタディーズの領域を切り開いた清水諭が、再び、スポーツとスポーツ観戦者が一体となってつくり出す「スタジアム」の魔術性について語ります。

  • 肉体は所詮物質なのか?「フランケン・ふらん」が描く身体。 - たまごまごごはん

    ●人体へ触れるタブー。● 人体を自由にいじりたい。 これは大昔から人間の中にぼんやりと眠る夢です。と同時に、決して犯してはならないタブーの一つでもあります。自分の思い通りに肉体を用いる、といえば聞こえはいいですが、墓掘って死体を意味もなくいじくりまわしたり人の身体パーツをもてあそんでいいのか、というのは物議をかもし続けるところだと思います。確かに医学面では必要でも、個人の趣味でどうこうするものかと言われると、能的に抵抗があります。 その部分をうまく描き出したのが、人造人間譚やフランケンシュタインの物語でしょう。多くの場合それらは、反逆や苦悩など、悲劇的な結末を迎えます。やはり禁忌への危機感は常に抱えている部分なのかもしれません。 それをコメディタッチで描いていったら?ギャグにするのは簡単ですが、嫌悪感と笑いをいっぺんに持ってくるのはなかなか難しいと思います。 ●グロかわいいよ、ふらんちゃ

    肉体は所詮物質なのか?「フランケン・ふらん」が描く身体。 - たまごまごごはん
  • 2007-07-29

    ・無力感 ・自助努力への過小評価 ・治療者のカリスマ化*1 ・相互性なき治療関係*2 ・特殊な治療論への固着 ・治療者の互換性がなくなる ・ドクターショッピング*3 ・治療方針に従えなかった場合のゆきすぎた自責感 ・対人関係=治療関係になりやすい ・トラウマ的な治癒モデル*4への傾斜 ・治療そのものの自己目的化*5 ・「失敗」→「怨恨」となりやすい *1:転移性治癒 *2:治療方針の絶対化 *3:理想の治療者の探求、あるいは治療不信ゆえの”嗜癖化”もありうる *4:自己啓発セミナーetc. *5:治療関係の慢性化 ・万能感 ・「自己流」への過剰評価 ・医療への蔑視と拒否*1 ・上記に基づく、オルタナティブな治療法*2への反動的傾斜 ・操作主義*3の問題 ・ドクターショッピング*4 ・相互性なき治療関係*5 ・治癒=超人化となりやすい ・自助努力が不足している(ようにみえる)ものへの不寛容

    2007-07-29
    massunnk
    massunnk 2007/07/29
    他力の問題/自力の問題、関係
  • 雑誌『談』編集長によるBlog : 規律権力/カオスの「グラストンベリー」か、生-政治のFUJIか

    2007年07月14日23:24 カテゴリ身体社会 規律権力/カオスの「グラストンベリー」か、生-政治のFUJIか イギリスの野外ロックフェスティバル「グラストンベリー」。30年以上の長きにわたり開催されてきたこの伝説的野外フェスのドキュメンタリー映画を観た。過去の資料映像も交えて、ジュリアン・テンプルが監督したライプ映像満載の映画だが、UKの若者文化を活写しているところが面白かった。 FUJI ROCK FESTIVALに代表される日の野外フェスを体験したことのない人がこの映画を観るとどんな反応をするだろうか。おそらく野外フェスというものはとんでもない「祭り」に映るだろう。トラヴェラーズという得体のしれない連中が闊歩しているかと思えば、ヒッピー、ドラッグ、セックス、暴力のてんこ盛り。裸の男女が泥まみれになって踊り、騒ぎまくる3日間。こんな危険極まりない乱痴気騒ぎが苗場で行われているのだ

  • コミック版「電脳コイル」に見る、少女達の身体感覚。 - たまごまごごはん

    ●ちゃおを買ったら店員さんが付録のカード渡すべきかどうか悩んでいたよスイマセン● ちゃお8月号に電脳コイルのコミックスが別冊でまるまる1冊つくというとんでもない事態が起きていました。 きなこコミックさんのところで知って、あわててちゃお買いに行ったのですが、90P超くらいのかなりのボリュームな上に、少女漫画としても、電脳コイルアナザーワールドとしても、大人が楽しむマンガとしてもしっかりしているという、個人的に理想的な出来になっています。 逆に言えば90P内で、これだけ多くのごちゃごちゃした人間関係をどう描くんだろう?と不思議だったのですが、そのへんもヤサコ・イサコを中心に、フミエやハラケンの大事なツボをおさえられています。京子もセリフほとんどないながらも、コマ内でこちょこちょ走り回っているので存在感があり、ちゃっかりハラケンになついていたりと繊細。ダイチはアホ全開フルスロットルでした。よく

    コミック版「電脳コイル」に見る、少女達の身体感覚。 - たまごまごごはん
  • ほんまもんのまんこ - G★RDIAS

    以前、私が書いた女性器切除についての記事へ、x0000000000さんが切除は「先進国云々じゃなくて、単に『痛いから、いやだ!』というのは、どうなんでしょうね。私だったら、身体への侵襲は、単に痛いから嫌ですけどね…。」というコメントをくださっていて、ずっと考えていた。 というのは、会陰切開を瞬時に連想してしまったからである。多くの産婦人科では、出産時に麻酔なしで会陰をバチンと切るという。*1私(ヘテロ生殖器付き女子)にとっては、もう想像しただけで、「絶対、子どもなんて産みたくない」とびびってしまうのに十分な衝撃。陣痛がものすごく痛いから、切るときは痛みを感じる余裕もないなんて言われても、「とにかく子どもを産むっていうのは、痛いことなんでしょう?!」と恐ろしくなるばかりだ。そもそも、私の体で、別の生き物が育って、会陰を裂いて出て行くなんて、すさまじい「身体への身襲」ではないか。 けれど、出産

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  • 福祉国家化が剥奪する四肢的思考 - bobbinsmall’s diary

    「ある人間の身体からすべてを切り落としてみよ。両腕、両足、鼻、 両耳をそぎ落としてみよ。その時彼の自尊心と威厳がどれほど残って いるかを見てみよ。こうした概念が身体の通常で正常な状態にどれだ け依存しているかを我々は知らないのだ。引かれたなら、こうした概念 はどのようになるだろうか。1人の人間の中のどれだけが、それでも尚 残り続けるのか? こうした人間はどんな状態へと沈んでゆくのか? 自分たちがたかく切り立った崖っぷちに立ち、自分たちの周りを深淵 が取り囲み、その中では全てが違って見えるということを我々は知らない」 (ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記) ************************************** テクニカルに四肢性の基底が取り押されられる事態を想定することが出来る。 そこで人の身体は、この世界でポピュラーな表出(それは殆どなぐさめでもある) を放棄して、多

    福祉国家化が剥奪する四肢的思考 - bobbinsmall’s diary
  • 性科学研究者「身体への接触なしでもオーガズムは可能」(1) | WIRED VISION

    性科学研究者「身体への接触なしでもオーガズムは可能」(1) 2007年6月 8日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Randy Dotinga 2007年06月08日 MRIスキャナーを駆使しボランティアの積極的な協力を得て、性の研究者グループが決意も固く探究に乗り出している。対象は、人間の性の中心に位置しているにもかかわらず長い間誤解されてきた臓器、すなわち脳だ。 性科学研究の第一人者である3名の研究者たちが、数十年にわたる研究から得た価値ある成果を、新刊『Science of Orgasm』(オーガズムの科学)にまとめた。 著者は、ラトガーズ大学名誉教授のBeverly Whipple氏、ラトガーズ大学心理学教授のBarry Komisaruk氏、およびメキシコのトラスカラ研究所所長のCarlos Beyer-Flores氏だ。なお、Whipple氏は197

    massunnk
    massunnk 2007/06/28
    「迷走神経」
  • アルジャーノンに逆エビを-「甲野善紀身体操作術」感想

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    第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの

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    太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…

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  • 遺骨と自分 - 特殊清掃「戦う男たち」

    自分が死んだ後、その骨をどうしてほしいか、考えたことがあるだろうか。 火葬された後に残される自分の骨の行く末をだ。 私なりの自論なのだが・・・ 骨になった状態は既に自分であって自分でないようなもの。 したがって、骨がどこでどうなろうと、知ったことではない・・・と思う。 しかし現実には、そう思いながら、なかなかそう割り切れないものがある。 やはり、遺骨の状態でも、自分の肉体であることの感覚は捨てにくいものだ。 生きている今は、自分の身体を自分そのものとしている訳なので、なかなか自分と別物とは考えにくい。 アノ世というものがあるなら、そこはコノ世の理解を超越した異次元の世界なのだろう。 それを考えると、「自分の骨をどうするか」なんてたいして大事なこととは思えなくなる。 集合墓地の「永代供養」だって「永久に面倒みます」ということではなく、「しばらくの間は面倒みます」という意味だし、一般の墓だって

    遺骨と自分 - 特殊清掃「戦う男たち」
  • ヴィジュアル系と歪んだ身体感覚 - 死に忘れましたわ

    肉体派ではないヴィジュアル系 非モテの問題とは、つまり、身体感の無さである。 (umeten「すべての男は非モテである−男性学的なるもの」『奇刊クリルタイ』p11より) (引用者注:楠まきの漫画に自分を投影する人の話の続き。Y=やなぎ K=今野 M=楠) Y:だけど今野さんって、一般に日の男性のオタクじゃないですよね。 K:まあちょっと違うかもしれない。類型にはならないかも・・・・・でも同じでしょ。 Y:岡田斗司夫さんとか、オタク初世代の人とは反対のタイプかもしれない。 彼らは絶対に、登場人物を自分に投影しようとはしないですよ。 M:まあ投影出来ないし(笑)。 Y:別にダイエットしろとは言いませんが、私の周りのオタク男性も 「自分の肉体なんて最も興味がない」ってあっさり言うんですよね。 家に鏡がないとか。でもその身体感覚はちょっと興味ある。 でも安部公房の『箱男』みたいな、当に、見

    ヴィジュアル系と歪んだ身体感覚 - 死に忘れましたわ
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