ひきこもっている人は、交渉主体としては極端に無能で脆弱な状態にあるが、実際に生き延びている以上、何らかの「力関係」を生きる当事者といえる(参照)。 問題は、そこで生きられる力の構造が、本人の意識を実体化する形で硬直していること*1。 その力関係を解体したりほぐしたりすることは、単なる「権力奪取」ではなく、自由な関係の再構築であり得る。 無力さゆえの硬直に「されるがまま」になるのではなく、お互いの関係自体に自力で創造的に関与すること。 以下、三脇康生の論考「精神科医ジャン・ウリの仕事──制度分析とは何か」*2を参照しつつ、関係への解体構築的な関与について、考えてみる(強調は引用者)。 ウリの立場に立つならば、ラカンの打ち立てた純粋精神分析を、それぞれの精神分析の学派が継承し、それを施設の中で応用するのでは、ラカン派の精神分析の一番ビビッドな部分を取り逃がしてしまうことになる。 応用するだけで