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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (2)

  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 正しさってなんだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また

    正しさって一つじゃない。 他人の言ってることを見ると、ああ、なるほどな、それは正しいな、と思う。 しかし、それと対立する意見を見ると、ああ、そういう考え方なら、それも正しいな、と思う。 唯一の正しさ、というのはよっぽどなくて*1、その立場、周囲の環境、その思考を育てるに至った経過などで、いくつもの正しさが生まれる。 しかし、ああ、それも正しいよね、ああ、そっちも正しいよね、と言ってるだけでは、ただの中身空っぽのコウモリだ。自分は自分で、自分自身の正しさをもっていなくてはならない。そうでなければ、正しさを判断することができない、極めて不安定な、常に揺れ動く存在となる。それは往々にして、自分自身だけでなく、周囲の人間まで巻き込んで不安定にする。好ましい状態とはいえない。 だが、かといって、これが私の正しさです、というものに固執し、てこでも動かない、となると、これはこれで大問題。なぜなら、自分の

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