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七福神に関するmatsunagaのブックマーク (4)

  • 株式会社JAFサービス_好人好物_まめ知識(vol.10)

  • 七福神 -- Key:雑学事典

  • 【珍書:其の12 『七福神伝記』】 - 旧「珍」の煮こごり倉庫

    2005-01-15 江戸時代、七福神のメンバーを変えようとした男がいる。 ご存じの通り、七福神は 「大黒天・夷・毘沙門天・弁才天・福禄寿・寿老人・布袋和尚」の七神を指します。 しかしこの七神に決定するまでに、様々な紆余曲折があったことはあまり知られていません。 (知ってても何の得にもなりゃしませんが) そもそも「七福神」という考え方は、室町時代後期に始まり、江戸時代後期に今のメンバーに固まります。 室町前期あたりまで個々の福神は、軍神や密教的性格の強いものでした。 それが室町後期頃から徐々に、洒落・滑稽・隠逸風味をもつ「福の神」へと変化してくるのです。 例えば、今は満面笑顔で打ち出の小槌を振るう「大黒さん」。 元はインドの闘神「摩訶迦羅」。信仰の歴史は古く、平安時代の大黒天像が残っています。(古い大黒天像は笑わず、細身) 室町期天台宗の僧・光宗が著した『渓嵐拾葉集』なんかには、大黒天の秘

    【珍書:其の12 『七福神伝記』】 - 旧「珍」の煮こごり倉庫
  • 七福神大研究

    七福神信仰は室町時代末期頃の京都に始まったといわれています。 江戸後期の画家谷文晁(1763〜1840)が、七福神の絵は「狩野松栄以前の絵を見ず」と『三養雑記』に書き残しているそうです(『江戸文学俗信辞典』)。狩野松栄は文禄元年(1592)に没しているので、安土桃山時代には七福神があったことになります。 また、出展は不明ですが、文明年間(1469〜87)の京都に七福神を装った盗賊が出没したという言い伝えがあります(『ニッポン神様図鑑』)。この盗賊は、七福神とは縁起がいいと庶民の間に人気があったとも言われます。そういうわけで真偽の程は定かではありませんが、室町時代後期には七福神があったと考えてよいでしょう。 この室町末期、京の庶民の間には、福の神信仰が広がっていました。室町末期といえば、応仁の乱(1467〜77)などの戦乱の時代です。武士のみならず、庶民も疲弊しており、福の神を求める土壌が

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