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ブックマーク / iyukari.hateblo.jp (6)

  • 復活。 - 石井NP日記

    星栞+展、最終日の朝。 10/5、6と最後の2日間、 新潟の蔵織さんに滞在し、展覧会に来てくださった皆様にお会いした。 ほんとにたくさんの方が来てくださった。 蔵織は「家」なので、会場「全体」を見渡すことはできない。 でも、一日中、各部屋にお客様が滞在している気配がずっとしていた。 蔵織さんの時間はゆっくり流れていて 畳の上に座布団を敷いて、お客様としばし雑談することができる。 皆さんいろんなお話をして下さった。 教育関係のお仕事に携わっている方お二人から お話を聞くことが重なった。 それぞれ別の場だけれども、 色々な問題の中にいる子供達に関わっていらっしゃる方々だった。 突然、「物理的に閉じこもってしまう」子がいて、 その方は、その子に「待ってるからね」と外から声をかけたのだそうだ。 ムリヤリ引きずり出すのでもなく、 無視するのでもない。 ただ「待っているからね」と言うこと。 それで、ち

    復活。 - 石井NP日記
  • 天と地 - 石井NP日記

    太陽の周りを地球が回っているのが「地動説」で 地球の周りを太陽が回っているのが「天動説」だ。 とはいえ どっちの説に立とうとも 太陽や星の「見え方」がかわるわけではない。 私たちの生活の中では、あくまで 太陽は東から昇って西に沈む。 「自己肯定感」という言葉が 最近、けっこう一般的になってきている気がする。 自分が「ここにいてもいいのだ」と思える、そういう感覚が 生きる前提となっているかいないかで 生き方がずいぶん違ってしまう、というようなことだろう。 「自己肯定感」がないと、 「自分はここにいてはいけないのではないか?」 という疑念を常に感じてしまい 身の置き所がないような不安感を耐えず、味わうことになる。 自分はここにいてはいけないのではないか 自分などはぜんぜん重要でも大事でもない と感じていると 他者にとってもそうだろう と思える。 だから簡単に自分を立ち去らせたり、姿を見えなくし

    天と地 - 石井NP日記
  • ひとつの「解」 - 石井NP日記

    数学で、方程式の「解」は、1つだけとは限らない ということを教わった。 こういうやつ。 x²+4x-5=0 x=-5,1 xに入る数字は、−5でも1でもいい。 これは生活の中の「問題」にも、けっこうあてはまることだろうと思う。 解決方法は、1つだけではない。 昨日の日記で、「自己肯定感」のことを書いた。 http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20130620/p1 「自己肯定感」の話を耳にするとき、必ず思い出すのが ムーミンシリーズの「ニンニ」のお話である。 ニンニは女の子だ。 彼女は両親をなくしたかして、おばさんに引き取られるのだが このおばさんがいじわるなひとで、ニンニをいやらしい皮肉でいじめたおしたため ニンニは「姿が消えて」しまう。 人から見えない身体になってしまうのだ。 これには、みんなこまってしまい、 ニンニはムーミン一家のもとにつれてこられる。 ムーミン

    ひとつの「解」 - 石井NP日記
  • 災難 - 石井NP日記

    とても大きな出来事が起こったり 非日常的なことが起こったりする、ことがある。 それはたとえば、 救急車や消防車やパトカーが来るようなことだったり あってあたりまえのものが突然失われるようなことだったり 一番大事なものや、生活の基盤が瓦解することだったり 信用していた誰かからとても軽んじられたり傷つけられたり忘れ去られたりすることだったり 挙げ始めればきりがないほど いろいろ、ある。 そういう出来事はにわかにはとても受け止めがたい。 何が起こっているのか理解できないし どうして自分にそれが起こったんだろう? という気持ちになる。 なんで? という気持ちになる。 さらに「この先どうなるんだろう」という気持ちにもなる。 自分の力以外の大きな力で自分の人生が予想外の方向に向かうとき、 人はうろたえ、不安になり、自分を無力だと感じ、恐怖する。 なぜこんなひどいことがおこるのか。 それには理由があるは

    災難 - 石井NP日記
    medoh
    medoh 2013/03/14
    これ、何回読んでも涙出る・・・涙が出た分、なんか勇気が残る感じがする
  • 光 - 石井NP日記

    medoh
    medoh 2012/12/14
    「無限に広がる用に思える悲しみの海の中に 小さな喜びの島がわずかに、点々と浮かぶような日々だけど みんなが、船に帆を張って勇敢に、島を渡っているだろう。 」・・・去年の今頃だったら理解できなかったこと。
  • 傷 - 石井NP日記

    「傷つく」 という表現が このところ、あまり好きな言葉じゃなくなってしまったのは それがあまりに手垢にまみれてしまって それが元々持っていた新鮮な意味への「直截さ」が 失われてしまったからなのかなと思う。 でも 「傷つく」 っていうのは たぶん、大事な表現なんじゃないかとも、思っている。 「怒る」とか「悲しむ」よりも「傷つく」が辛いのは 傷を負った人には その傷をどうすることもできない という点が 強調されているからだ。 「傷」は、 長い時間をかければ、ふさがっていく。 でも 「傷」を、いきなり治すことはできない。 「傷」は、自分ではどうにもならない。 「治せ!」とか「傷つくな!」とか言われてもどうしようもない。 自分自身、その傷を消しゴムで消すみたいに消したいワケなのだが 傷はそもそも「努力で消せる」ようなものではない。 傷の変化というのは 髪の毛が伸びたり身長が伸びたりするのとおなじ

    傷 - 石井NP日記
    medoh
    medoh 2012/10/26
     人生の半分を介護で過ごした知人、ずっと傷がぢゅくぢゅく化膿したままであろう自分、なんかいろいろ気持ちと思いにリンクしてて、泣いてしまった。
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