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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (6)

  • 自分にも他人にも容赦をせずに自分の考えを言葉にすることを心がけないと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 遠慮とか、他人に気を遣うこととか、人目を気にすることとか。 いりませんね。必要ない。いやいや、それどころか、自分が思考し行動する上では邪魔でしかありません。 当は上手に気をつかえたり、他人への配慮ができるチカラがあれば、それらも悪くないもののはずなんですけど、いまを生きてる世代で、そんなことが上手にできる人なんていません。 何をどう配慮すれば相手も自分も上手くいくかなんてインタラクティブな文化的解答を僕らの世代はとっくに失ってしまっているし、その喪失にさえ気づいていない有様です。気を遣って相手も自分もいいようになるよう希望しても結果は真反対。このシュリンクする経済状況を見るだけでも明らかです。 そんな縮小という結果に向かわせるだけの人の和なんてものはもはや美徳でもなんでも

  • おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは人間が離れた場所から目を向けるグラフィカルな視覚重視のものから、人が内部に参加する形でそれを体験する建築的なものへと移行する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、HTML5の影響やタッチデバイスのUXからの転移もあってか、これまでとは異なるデザインのWebサイトが増えてきているように感じます。 例えば、イギリスのデザイン・エージェンシー、TME Solutions。 このサイトの構造は従来のページ遷移型の構造をしていません。いちおページ単位で個別のヴィジュアルが展開されていますが、構造的には紙を折り畳んだパンフレットのように上から下まで連なった形をしています。 グローバルナビゲーションが後から追いかけてくるUXの是非はともかく、ページを遷移せずにみせる形式は一枚の紙の一覧性の良さと同様に、ユーザー自身が情報全体のなかでの自分が見ている現在位置を把握しやすいという利点があります。 類似の構造をもつのがReverse Büroです

  • 事件でありできごとである話しことばでは人は客観的で分析的な思考をするのがむずかしく、メタ認知を働かせて研究やデザインをすることができない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、文字をもたない話しことば文化の人びとと、書き文字文化、さらには活字文化を経た僕らの思考の違いについて、このブログ上やFacebookページでいろいろと書いていますが、いろんなを読んだり、それを元にあらためて自分で考えてみたりすればするほど、自分たちと話しことば文化の人びとの違いに気付かされます。特に思考や世界認識の違いに関しては気付けば気付くほど、その大きなギャップに驚きます。 文字というモノに固定される言葉と、発せられたと同時に儚く消える声によることばでは、まるで思考の方法や世界の見方が異なってくる。今日もまた、そんな話をいくつか書き散らしてみようと思います。 まず、最初に現代に生きる僕らにとっては、自然なものと考えられる「研究」という思考活動について。 『声の文

  • 人を魅了する見かけが、コミュニケーションの仕掛けをわかりやすくするとともに、大衆を欺く: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、仕事大阪に出張したのですが、時間の都合がついたので、ついでに日三大祭りのひとつに数えられる天神祭をすこしだけ覗いてきました。真夏の炎天下のもとでの祭りっていいですよね。こんな風に獅子舞も行列に加わっていました。今年は縁あって、おなじ三大祭りのひとつ祇園祭も鉾立ての時に顔を出せたのですが、やっぱりこういう祭りの体験っていいなと思います。 さて、話はいきなり変わりますが、すこし前ですが、こんな記事を読んで、なるほどと思いました。 小説家の平野啓一郎さんとプロダクトデザイナーの山中俊治さんの対談です。 その中で、平野さんがこんなことを言っています。 読者の声を小説のインターフェースにどう反映させるかを考えたときに、僕はコンピューターのインターフェースの感覚が、今の読者の

  • 弱くていい: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 弱くていい。頭なんて悪くていい。努力なんかほどほどで、途中でくじけてもいい。 人に認められようとはりきらなくていい。愚痴や泣き言を我慢することなんてない。人に頼って生きればいい。だらしなくてもいいし、言われたことなんてできなくてもいい。 弱くていいし、自分の弱さを受け止め、曝け出したほうがいいし、また、まわりの弱さにも目を向け耳を傾けなくてはいけないだろう。 いままで強いことがいいことだと信じ込みすぎていたのだ。学校でも家でもそう教わったし、会社でも社会でもそう強いられた。 でも、これからはそんなことはどんどんなくなっていくはずだ。 僕は最近ようやくそのことに気づいた。 もちろん、古い頭の人が過去を引きずって、相変わらず強さを崇拝し、それを強いることはあるだろう。 だが、間

  • 作法は急に作れない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、こんなTweetを見かけた。 半そでワイシャツって、すさまじくその人をオヤジに貶める気がする 確かに。 でも、「確かに」と思う一方で、それは日人に限る、ではないだろうかとも思う。いや、アジア圏は全般的にそうなのかもしれない。 一方、欧米人には半袖シャツを格好よく着こなしている人が少なくない。アメリカ人なんかは実に格好よく半袖シャツを着る。ワイシャツ、カジュアルシャツ問わずだし、スウェットすら半袖だ。 これを体格の問題というのはやさしい。 でも、それだけではないはずだ。それとは別に着方の問題があると思う。サイジングや洗い方、アイロンをかけるか否かなどの全般で、どう着れば格好よくなるかがまだ日人は半袖シャツの着方をわかっていないということもあるのだと思う。 サラリーマ

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