長い間、江戸時代の庶民は名字を持っていなかったと信じられてきた。 これを唱えたのが大学者の柳田国男先生だったから誰も疑わなかった。しかし柳田先生がしっかり調査をしたかといえばそうではなかったらしい。二、三の事例と自分の経験から百姓無苗説に至ったようだ。それでも天下の柳田先生が本の中で農民、とくに中級以下の階層では絶対に名字を名乗ることが許されず、その多くはとっくに名字を忘れていたか、もともと名字を持ってはいなかったと断言していると、これにあえて異を唱える者はいなかった。 そんな柳田百姓無苗説をくつがえしたのが早稲田大学の洞(ほら)富雄教授である。 洞教授は長野県東筑摩郡の寺院で天明3年(1783)と文化13年(1816)の寄進帳を見たとき、そこに署名している1.000人以上の農民が全員、名字と名前を記しているのをみて驚いた。無苗どころか全員有苗じゃないか。文政13年(1830)に作成された
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