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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (2)

  • 徳冨健次郎 みみずのたはこと

    儂(わし)の村住居(むらずまい)も、満六年になった。暦(こよみ)の齢(とし)は四十五、鏡を見ると頭髪(かみ)や満面の熊毛に白いのがふえたには今更(いまさら)の様に驚く。 元来田舎者のぼんやり者だが、近来ます/\杢兵衛(もくべえ)太五作式になったことを自覚する。先日上野を歩いて居たら、車夫(くるまや)が御案内しましょうか、と来た。銀座日橋あたりで買物すると、田舎者扱いされて毎々腹を立てる。後(あと)でぺろり舌を出されるとは知りながら、上等のを否(いや)極(ごく)上等(じょうとう)のをと気前を見せて言い値(ね)でさっさと買って来る様な子供らしいこともついしたくなる。然し店硝子(みせがらす)にうつる乃公(だいこう)の風采(ふうさい)を見てあれば、例令(たとえ)其れが背広(せびろ)や紋付羽織袴であろうとも、着こなしの不意気さ、薄ぎたない髯顔(ひげがお)の間抜け加減、如何に贔屓眼(ひいきめ)に見て

  • 芥川龍之介 侏儒の言葉

    「侏儒(しゅじゅ)の言葉」の序 「侏儒の言葉」は必(かならず)しもわたしの思想を伝えるものではない。唯わたしの思想の変化を時々窺(うかが)わせるのに過ぎぬものである。一の草よりも一すじの蔓草(つるくさ)、――しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。 星 太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。 天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。が、ヘラクレス星群と雖(いえど)も、永久に輝いていることは出来ない。何時か一度は冷灰のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死は何処へ行っても常に生を孕(はら)んでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよう内に、都合の好い機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすれば又新しい星は続々と其処に生

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