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2019年5月12日のブックマーク (1件)

  • 長岡休無 - Wikipedia

    長岡 休無(ながおか きゅうむ) / 細川 忠隆(ほそかわ ただたか) / 長岡 忠隆(ながおか ただたか)は、安土桃山時代から江戸時代の武将。細川忠興とガラシャの間に生まれた長男。官位は従四位下・侍従。肥後細川家庶流細川内膳家の家祖。 天正15年(1587年)、羽柴名字であったことが確認される[1]。 慶長9年(1604年)の廃嫡後は長岡 休無(ながおか きゅうむ)と号した[注釈 1]。なお、忠隆は祖父が1573年に長岡に改姓し[3]、父が細川姓に復したのは廃嫡後の1615年[4]なので、細川忠隆とは生前に一度も名乗ってはいない。 慶長5年(1600年)の徳川家康の留守中に五奉行の石田三成らは挙兵し、三成らは忠隆の母・ガラシャに対して人質となるよう迫った。ガラシャは拒絶して大坂玉造の細川屋敷で自決したが、忠隆正室の千世は姉・豪姫の指図で隣の宇喜多屋敷に逃れた。 その頃、忠隆は忠興と共に会