能登半島地震で被災した男子大学生が、石川県七尾市田鶴浜地区で一緒に避難所生活を送る被災者らと協力して、交流サイト(SNS)のインスタグラムで情報発信に取り組んでいる。メディアが報じていない避難所の実情や裏側を伝えようと、「避難所のリアル」というハッシュタグを付けて、写真とともに投稿している。 インスタのアカウントを開設したのは、北陸大学4年の中村斗星(とし)さん(22)。甚大な被害が出た街並みや、避難所におけるペット同伴の実情などを投稿している。
能登半島地震で被災した男子大学生が、石川県七尾市田鶴浜地区で一緒に避難所生活を送る被災者らと協力して、交流サイト(SNS)のインスタグラムで情報発信に取り組んでいる。メディアが報じていない避難所の実情や裏側を伝えようと、「避難所のリアル」というハッシュタグを付けて、写真とともに投稿している。 インスタのアカウントを開設したのは、北陸大学4年の中村斗星(とし)さん(22)。甚大な被害が出た街並みや、避難所におけるペット同伴の実情などを投稿している。
牛乳の飲み残しを減らそうと、関牛乳(関市観音前)は漫画を印刷した牛乳瓶「ミルクコミック」を通じた活動に取り組んでいる。漫画は白いインクで印刷しており、飲み進めるにつれて漫画が浮かぶ仕掛け。国際的な広告賞にも選ばれた取り組みの第2弾として、漫画に登場するモンスターを考案する特別授業が同市旭ケ丘小学校であり、6年生62人がデザインに頭をひねった。(華原士文) コロナ禍の牛乳廃棄問題を受け2021年、広告代理店(現在のVMLオグルヴィ&ジャパン合同会社、東京都渋谷区)が関牛乳に提案。22年に、漫画家の観世あみさんが描いた4こま漫画「ミルクモンスター」を瓶に印刷した牛乳を旭ケ丘小など市内4小中学校で提供した。10種類の漫画はいずれも乳製品にちなんだモンスターと子どもの交流を描いた。この取り組みは23年、世界三大広告賞の一つといわれる「クリオ賞」で銀賞に輝いた。...
平素より株式会社長野日報社のホームページをご利用いただき、誠にありがとうございます。 このたび、弊社ホームページを2024年4月15日(月)にリニューアルいたしました。 より使いやすいホームページを目指して、デザインとページの構成を見直しました。 これからもコンテンツの拡充を図りつつ、お客様に有益な情報を発信してまいります。 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
石川県で輪島塗を学んだ佐久穂町の漆芸家伴野崇(とものたかし)さん(40)と妻で漆芸家の井坂友美(ともみ)さん(35)が、能登半島地震で被災した輪島塗に携わる人たちを支援するため、自身の作品や支援に賛同する仲間の作品をウェブでチャリティー販売している。わんや酒器、さじなどで、最低限の原価だけを除いた収益の全額を…
富山で1年間 4保育所で収録 富山市中心部を走る公共バス「まいどはやバス」で4月から、地元の園児たちの車内アナウンスが放送される。利用客の減少が進むバスを子どもたちの元気な声で活気づけ、新たな利用客の獲得にもつなげる初の試み。放送は1年間続け、好評なら次年度以降も新たな園児にバトンタッチして継続する。(平井剛) まいどはやバスは市中心部を循環する。富山駅や総曲輪、西町、稲荷元町などを経由し、約1時間で周回する。利用客は2007年度の25万9千人をピークに減少し、21年度はコロナ禍やルート変更、値上げの影響もあって10万1千人にまで落ち込んだ。ただ、コロナ禍の収束で近年は回復の兆しも出てきている。 バス運行主体の富山市民プラザまちづくり事業部が利用客のさらなる回復につなげようと、バス沿線にある愛宕、柳町、清水、雲雀ケ丘の保育所4園に協力を依頼。年長児が卒園記念を兼ねて停留所のアナウンスを務め
マンホールを新たな製品に生まれ変わらせる事業に取り組む豊田高専の学生や、アイシン高丘の社員、市職員ら=豊田市高丘新町のアイシン高丘で 豊田市は、使用済みのマンホールのふたを新たな製品に生まれ変わらせる事業を始める。同市の豊田高専が製品の立案、市内の大手自動車部品メーカー・アイシン高丘が試作などで開発を支援する。産学官による全国初の試み。どんな製品に生まれ変わらせるか具体的な案はまだ挙がっていないが、参加する豊田高専の学生たちは「新たなアイデアを生み出したい」と意気込んでいる。 市内には約5万1千カ所に下水道用マンホールがあり、市は年間約100枚のふたを老朽化などの理由で交換している。古くなったマンホールのふたは金属メーカーに販売され、建築資材などにリサイクルされるのが一般的だが、鉄は売値が変動しやすいため、売却による収入をより安定させようと製品化して販売する事業に乗り出す。...
地震のときは休みで家族と過ごしていました。テレビをつけたら震源地が能登だったので驚いて。去年のゴールデンウイーク、小松市でのイベント中に大きな地震に遭ったんです。それ以上の揺れを観測していたので大丈夫かなって。テレビにくぎ付けになりました。 2008年に「輪島朝市」という曲をリリースし、朝市通りの入り口付近に歌碑も建立してもらいました。通りのお店にCDを置いてもらったことも。おじいちゃん、おばあちゃんたちに、たくさん「頑張ってね」って言ってもらいました。 何度も朝市通りを歩きました。キリコ祭りに参加したり、花火大会のステージで歌わせてもらったり。「白米千枚田」の一画を1年間限定でいただいたこともあります。地元の人たちのアドバイスを受けながら稲刈りをしました。自分の田んぼで育てたお米を食べさせてもらったのは、貴重な経験でした。 東日本大震災の前年に、宮城県の松島を舞台にした「松島紀行」ってい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く