“シリコンサイクル”が無いNAND いま一度、図2に戻ってNANDの市場動向を見てみよう。2016年までのNANDには、DRAMのような“シリコンサイクル”がない。ここで、DRAMと同じように、NANDの出荷額と出荷個数の年次推移のグラフをつくってみると、NANDの出荷個数は、ほぼ直線的に増大していることが分かる(図5)。ただし、「スーパーサイクル」に突入した2016年を境に、その成長率が鈍っているように見える。 まず、2000年から2016年にかけて、出荷額も出荷個数も単調に増大している理由を考えてみた。NANDは、1987年に東芝に在籍していた舛岡冨士雄氏が発明した不揮発性メモリであるが、1990年代に東芝が事業化した頃には、アプリケーションが存在しなかった。 ところが、2000年になると、デジタルカメラ、Appleの音楽プレーヤー「iPod」、携帯電話機など、次々と市場規模の大きなア
「日立精神」は、数々の“失敗”のなかからうまれた。一貫して模倣を嫌い、“オリジナリティー”にこだわった「創業精神」。丸太小屋を「世界の日立」にまで築き上げた哲学とは。 今日のように、先のまったく読めない時代であって、またそういう時代だからこそ、企業トップは夢を語ることが大事なのではないだろうか。トップが夢を語れないと、企業は目先の利益にばかり追われてしまうことになりかねない。 できれば夢は大きいほうがいいであろうし、そこから新しい技術や組織、人づくりだってうまれてくる。そして最も大切なことは、夢を実現させたかったら「ひとまね」ではいけないということだ。企業は自分たちでうみだす「オリジナリティー」をもっと大切にしていかなければならない。ところが最近の日本の「モノづくり」はというと、すでにある製品に何かを足してみたり、引いてみたりしたものばかりが矢鱈と目につく。 日本人ほど「ひとまね」が巧みな
「元来、生物だけが意識をもっているとおもうのは人間の錯覚で、神は万物にそれを与えている。それを善用できるのは、“愛のつながり”以外にはない」。これはかつて“重工業王”といわれた男がいった言葉である。これは会社というものを“生きもの”としてとらえた、いかにも日本人らしい企業観だ。その人物は、あくまでも現場主義にこだわり、日本の “伝統的人情” というものを忘れなかったベンチャーのさきがけであった。かつての日産コンツェルンの総帥・鮎川義介(1880-1967)である。 「おれは絶対に金持ちになるまい。だが大きな仕事はしてやろう。願わくは人のよくおこないえないことで、しかも社会公益に役立つ方面をきりひらいていこう」。義介は驚くべき決断をする。帝大卒業後のかれがとった行動は、その輝かしい出自と学歴をひた隠しにし、「一職工」として現場の下働きの仕事をするというものだった。「自らの身体を使って技術を体
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く