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淡路島の飛行場 現在、淡路島には民間飛行場を含めた空港は存在していません。 が、現在は関西空港を発着する航空機の主要ルートになっており、管制塔の交信をネットで聞いていた時も、「アワジ」という声が頻発していました。 空を見上げると時折、我が家の真上を飛行機が飛んでいることもあります。 そもそも、関西空港は淡路島に作る計画もあったという話を聞いたことがあります。 が、淡路島に関空ができたらできたで、市街地から遠すぎて利用者は不便極まりなかったろう。 実際に島に住むと感じます。 そんな淡路島にかつて、空港が存在していた…知っている人は島民でもあまりいません。 さもありなん、存在した期間は戦争中、それも1年にも満たなかったから。 軍事機密-その名は○○ 戦争一色となり日常生活も緊迫の度を増した昭和18年(1943)、陸軍より、阪神地区防空用に淡路島に飛行場を建設せよという命令が下されました。 翌年
2019年3月21日、日本が生んだ野球界のスター、イチロー選手が引退を発表しました。深夜だったとは言え、見ていた人も多かったと思います。 私もリアルタイムで引退会見を見ていましたが、野球哲学者のような表面とは裏腹に、本人ははっちゃけてすらいた気がします。 我々が描いていた「哲学者」はあくまで「ハレ」の面、会見の姿が普段着、我々一般人が知らない「ケ」のイチローなのでしょう。 実は、というか実を言わなくてもイチローと同世代(同い年とは言ってない)な私、同世代という親近感もあり言動には常に注目していました。 イチローが日本球界で無敵を大暴れしていた当時、私は中国に留学中でした。 ネットもない当時では、日本の情報は意識的に取りに行かないと入手できません。ましてや情報統制が利いている中国のこと、流れてくる日本の情報は限定的なものでした。 世界中どこでも情報が入手できる世の中では死語になりそうですが、
9月4日、非常に強力な台風21号が関西を直撃し、各地に大きな傷跡を残しました。 この21号は渦巻きの東側の勢いが強く、直撃しなかったもののその東側にあたった大阪市府一帯は、とんでもないことになっていました。 電柱が根本から折れ、駐車場の軽自動車が紙のように吹き飛び、空港が水没する。 「これはただの台風ではないぞ!」 我々がそう悟った時にはすでに遅し。 「非常に強い」や「猛烈な」など、使い古された表現ばかり連呼する天気予報も、そろそろ表現を改めた方が良いのかも。 台風のすごさを表現するために、もっとエモーショナルに表現しないといけません。 「今回の台風は、もうめっっちゃ、めーーーーーーっちゃ強い台風なんです!トラックなんて指先一つでダウン!ケンシロウも驚きの強さ!」 「ゴジラとメカゴジラが二匹同時に上陸したような被害が予想されます!」 このくらい言っていただくと、見ている方もタダゴトではない
(信太山ゴルフ場。本格オープン前。昭和10年11月頃。『阪和電気鉄道史』より) ==大まかなあらすじ== 大阪南部、信太山にあったという短命のゴルフ場、「信太山ゴルフリンクス」は大阪で2番目、さらに日本ゴルフ史に燦然と輝く伝説のコース設計者、上田治が日本で2番目に手がけたゴルフ場でした。 しかし、戦争の激化と共に消滅、今やどこにあったのかさえ資料が乏しい有様となっています。場所は「信太山」にあったことは確かなものの、具体的な場所はあまり知られていなかったのですが・・・。 前編はこちら↓ parupuntenobu.hatenablog.jp ついに発見!信太山ゴルフリンクス 信太山ゴルフリンクスの跡を歩く 電柱に注目! こんなところの「大阪市」 ゴルフ場の前は・・・ ゴルフ場がなくなった後 謎の施設、健民修練所 ゴルフ場の夢のあと 「ゴルフ」を追って 阪和電鉄、もう一つの謎の施設 おわりに
大阪の幻のゴルフ場 信太山 阪和電鉄と信太山ゴルフ場 阪和がやればあそこが黙っていなかった ゴルフコースの設計者 史上空前の好景気と共に 戦争とともに消えた信太山ゴルフリンクス 信太山のゴルフ場はどこにあったのか? 大阪の幻のゴルフ場 我がブログを読んでくれている読者の中にも、ゴルフが好きな人はいると思います。 海外でよく知られた日本人のステレオイメージの一つに、ゴルフ好きが挙げられます。世界には35,000ヶ所のゴルフ場があるそうですが、そのうち7%を日本が占めているのだとか。これは米国に次ぐ世界第二位。日本人、やっぱりゴルフが好きだった。 (神戸のゴルフ場でレッスン中の外国人女性) 日本にゴルフが入ったのは、20世紀に入ってからでした。イギリス人貿易商によって持ち込まれ、その2年後には日本初のゴルフ場となる「神戸ゴルフ倶楽部」が完成しました。このコースは現在も残っています。 昭和に入り
クイズ番組全盛期時代 私のような40代が思い浮かべるクイズ番組と言えば、 ・クイズダービー ・連想ゲーム ・アップダウンクイズ ・クイズ百人に聞きました などなど、挙げていけばキリがありません。うんうんと頷いている人も多いのではないでしょうか。あ、伝説のアメリカ横断ウルトラクイズも忘れちゃダメですね。 『世界まるごとHowマッチ』と『世界一周双六ゲーム』で、海の向こうに「海外」という未知の世界があることを覚え、『ウルトラクイズ』で絶対海外に行ってやる!と決意し、参加資格年齢に達した途端に番組が終わってしまった悲しい思い出。しかし、それらを見ることがなければ、おそらく私は大阪の田舎の井の中の蛙で終わっていたことでしょう。 1980~90年台は個性的なクイズ番組花盛り。チャンネル変えてもクイズばかり。でもテレビが楽しかったあの時。日本史におけるクイズ番組全盛期ではなかったのではないかと。 そん
世間を騒がせているアメフト問題ですが、本日、加害者側である日大の選手が記者会見を開きました。 前回の記事では、私の判断で敢えて名前は出しませんでした。が、今日になり本人の希望で顔と名前を公表したということなので、今後は宮川選手と名前をつけさせていただきます。 今日は晩ごはんを外食で済ませ、ゆっくりYoutubeで見ることができる環境を整えた上で、記者会見をノーカットで見ました。ニュースサイトで見た彼の覚悟をひしひしと感じ、生半可な気持ちで見てはいけないなと感じたからです。 見させていただいた感想は一言。立派だと。 20歳の若者が、全日本の注目を浴びた状態で名前と顔を出す。言い方は悪いが、江戸時代で言えばさらし首に遭っているのです。親だったら、自らギロチンの前に立つ息子など見てられないと思います。 しかしながら、ネットで叩かれ、個人情報を流され、そして所属していた部・大学には見捨てられた状態
淡路島の方言の淡路弁って、聞いたこともないという方のほうが多いと思います。かく言う私も、海を隔てた大阪出身ながら、その存在は知りませんでした。淡路島に住むまでは。 現在私は、淡路島で「島流し」に遭っております。 といっても別に犯罪者ではありません。仕事の都合により期間限定で淡路島に住んでいるだけです。左遷とかそんな読者の皆さんを陰鬱にさせてしまう事情でもありません。というか犯罪して島流しって、一体何時代やねん。 しかし「島流し」と言っても、けっこう優雅な島流しライフを楽しんでおります。 元々は大阪出身なのですが、大阪の慌ただしい生活とは真逆の、のんびりスローライフを送っています。 どれだけ優雅かというと、 仕事の残業がない! 仕事終わっても遊ぶところがない! お金を使うところがない! とりあえず何もない! 淡路島に来ていなかったら、今でも大阪で働いていたら、こんなにのんびりとブログを書くヒ
非冷房車があった頃 冷房車…そんなの当たり前の時代になりましたが、昔は「そうじゃない時代」もありました。 昭和50年代、母親に手を引かれてよく祖母の家へ行っていました。 当時の住まいは南海本線沿線だったのですが、祖母の家が阪和線沿線だったので、東羽衣から阪和線の支線(羽衣線)へ。鳳で乗り換え堺市で下車。そこからタクシーに乗っていました。 いつからか下車駅が浅香駅になり、タクシーが徒歩となったのですが、あの時は家の経済状態が悪くなったんだなと大人になって悟ることもあります。 当時の冷房率は南海の方が断然上でした。当然、南海も非冷房車はあったのですが、それ以上にヤバかったのが阪和線。快速(主に113系)の冷房車率は高かったものの、各駅停車の103系はほとんど非冷房。真夏でも天井に扇風機が、カラカラと音を立てて回っているだけ。たま~~~に冷房車に当たると、ガッツポーズをして喜んだものです。 それ
砂川遊園、砂川奇勝アゲイン 砂川遊園・奇勝のおさらい 泉州の宝塚 砂川遊園の最期 戦後の砂川遊園と奇勝 砂川奇勝保存運動 泉南市が目指す目標 展示会、行く価値ありか 砂川遊園、砂川奇勝アゲイン 以前、「砂川遊園」「砂川奇勝」、そして「第ゼロ号ネズミーランド(笑)」があったという話をしました。 場所が泉南という大阪の局地な上に、地元民としての使命感と自己満足だけで書いたので、ニッチと言えばニッチな記事。興味がない人には全く興味がわきません。 短命に終わったせいか史料も少なく、一度で掘るだけ掘り、もう堀り尽くした。もう何も出てこないだろう。そう感じつつ、記事を締めくくりました。 実は、砂川遊園と奇勝があった自治体の泉南市も、郷土史の一つとして独自にここを調べています。 たま~~にその研究結果を発表すべく、「泉南市埋蔵文化財センター」というところで砂川の展示会のようなものを行っています。 今回、
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「一体いつ実装されるんだ!」 はてなブロガーからの怒りの声があちこちから吹き上がっていた、はてなブログのHTTPSの実装化ですが、実装が遅いためしびれを切らし、Wordpressに引っ越す人も出て来ていたそうです。 目先のことばかり考えずに、のんびり構えておけばいいのにと思いつつも、HTTPS実装は最近のはてなブログのトレンドになっているようなので、気になる人は「取り残された感」が強かったかもしれません。 公式の最新声明は以下の通りでした。 staff.hatenablog.com はてなブログでは2018年2月22日から、ブログをHTTPSで配信できる仕組みを、はてなが提供する5つのドメインで順次提供します。公開時点では、一部のブログでのみご利用いただけます。対象となるブログの範囲は順次拡大していく予定です。 (中略) 今回、HTTPS配信をご利用いただけるのは、はてなが提供するドメイン
ある休日のこと、洲本の町を歩いていると、こんなポスターを見つけました。 ほう、交響楽団による生ドラクエか。 そう言えば、ドラクエどころか生オーケストラは、ヨーロッパで1回だけ聞いたことがあるものの、日本では一度もなかったりします。当時全国トップクラスの実力だった中学の吹奏楽部の演奏なら聞いたことはあるけれど、それはプロのオーケストラではない。 地元でやる、それも縁もゆかりもありまくりのドラゴンクエストのコンサート。それも、作曲者のすぎやまこういちさんと、ドラクエの制作者ほりいゆうじ(堀井雄二)さんもあらわれる。生ドラクエの上に生すぎやま&堀井も見られる良い機会だと、さっそくチケットを購入しました。 で、このポスターには、地元民以外は「おや?」と気づくところがあります。 「あの思い出が堀井雄二の故郷でフルオーケストラと共に蘇る?」 語尾に「?」がついているところに引っかかったのではありません
大阪は平野が南北に伸びる、比較的平らな土地ですが、一方で兵庫県以外の県境がすべて山でもあります。 大阪の有名な山の一つに、金剛山があります。大阪の小学校では耐寒登山で真冬の金剛山に登るのが儀式になっているのですが、最近はミリオタや二次元好きの間で、戦艦『金剛』の命名山になったところとして有名です。 標高1000mちょっととは言え、金剛山も立派な山ですが(地元の人はサンダルで登るらしいけど)、大阪にある山はこれだけではありません。他都道府県にあれば、たぶんネタにもならない、大阪が誇る名山ならぬ「珍山」もあったりします。 大阪人なら、タイトルで 「ああ・・・」 とすべてを察するあの山を…。 1.蘇鉄山 大阪の堺市に、「大浜公園」という比較的大きい公園があります。 元々ここは江戸時代のお台場から始まり、明治以降は水族館や海水浴場、スーパー銭湯のご先祖様と言える「潮湯」という温泉娯楽施設がありまし
以前、語学屋さんとしての矜持、というか語学を勉強する基本を書かせていただきました。 parupuntenobu.hatenablog.jp おそらく、外国語に対する誤解が日本人の中にあるのだろうなと感じて書いたのですが、特に「レアリア」は新鮮だったようです。外大で外国語学を勉強すればまず叩き込まれる基本中の基本なのですが、やはりここがわかっていなかった、と我が意を得たりでした。 その記事を、女装家(←私が勝手につけました)の美奈子さんのブログで言及していただきました。 www.utsu-joso.com 言及されてまた言及返しなんて初めてですけど、言及のキャッチボールはブログの書き手にしか出来ない「ブログコミュニケーション」の一つでしょうね。 美奈子さんは、 「英語は国際共通語にあらず、ブロークン・イングリッシュが国際共通語である」 と書いています。 結論から書くと、それは正解です。 国連
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