知る人ぞ知る幻のカニを求めて 京都府の北部、日本海に突き出した丹後半島の京丹後市丹後町に、間人(たいざ)という地名がある。この奇妙な読み方の地名は遥か昔の6世紀中頃、聖徳太子の時代に名づけられた。 その頃、朝鮮半島を経由して大陸から仏教が伝わった。それまでの日本にはない新しい宗教の伝来である。キラキラと輝く金銅の仏像を見て、天皇以下側近たちは「仏教って何だ!」と驚いた。受け入れるべきかどうか、議論百出した。最新文化として受容しようとしたのが蘇我氏(そがし)、異国の邪宗だと反対したのが物部氏(もののべし)である。 さらに皇位継承の問題も浮上し、両者の間で激しい争いが勃発した。この時、まだ10代半ばだった聖徳太子は、蘇我軍の一員として戦闘に参加した。 戦いは一進一退。聖徳太子は敵軍に囲まれ、もはやこれまでという時に四天王像を彫り戦勝を祈願。仏の加護により危機を脱したと『日本書紀』は伝えている。