「SAPIO」3・4月号の小林よしのりさん『大東亜論 アジア雄飛篇』 での中江兆民の話はインパクトがありました。 そこで紹介された『三酔人経綸問答』の中には、国にこだわることには意味がなく、軍備の撤廃を唱え、 侵略されても抵抗せず受け入れればいいという「紳士君」と、 戦争は避けられぬ現実で、勝つことを好み、負けることを嫌うのは本能だと、 徹底的な軍国主義で国家主義的な「豪傑君」が登場。 両者を、極端な左と右として象徴させ、両方の極論を諫めて、 健全な保守思想を説く「南海先生」に兆民が自らをなぞらえていたとのこと。 その各々の立ち位置は、そのまま現代にもあてあまることにビックリです!力を無視した理想論と、力におもねった理想論は、 現実を見誤り、自主独立の道を見失う結果になってしまいます。 その間のバランスを取らんとしていた兆民自身は、 貴族社会を前提とした「平民」という言葉を嫌い、 「新民