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educationと考え方に関するmkawanoのブックマーク (12)

  • 生きる力と同調圧力 - 教育長ブログ

    今学期のレポート採点が終わった。「現代教育思想」という小難しいタイトルの授業だけれど、学生の意見はみな素直でかわいらしい。それでも、100人近くのレポートを読んでいると、中には思わずハッとするものもある。今年はこんなのがあった。 「生きる力」は、「自ら学び、考え、主体的に判断し、行動する」力となっているが、現在の教育は、「みんなで学び、考え、みんなで判断し、行動する」ことを促している。 これには唸った。恐ろしく的を射ている。 前者の「自ら・・・」というのは、教育関係者なら誰でも知っている呪文のようなもので、日人に足りない力、今後ますます必要になるとされる力である。日教育がこれを目指していることは、教育関係者の共通認識だといってもよい。もちろん、この「自ら」というのは来、一人でという意味ではなく、自発的に、自主的に、というニュアンスである。 一方で「みんなで・・・」というのも、協調性

    生きる力と同調圧力 - 教育長ブログ
  • この小学校先生がすごい! 子どもたちのやる気を引き出す数々の仕掛けとは

    小学校の授業に一風変わった教育手法を持ちこみ、子どもたちのモチベーションを上げまくっている先生がいる。東京学芸大学附属世田谷小学校の沼田晶弘先生の授業風景は、まるで司会者とひな壇芸人のようだ。 「皆さんがイメージしている普通の授業が国会答弁みたいな感じだとすると、僕の授業はそういう決まった形がありません」 沼田先生が問いかけると、子どもたちはどんどん話す。そこにツッコミを入れつつ、話を広げたり、ほかの子に振ったり、最後に先生がオチを持っていこうとすると、また子どもたちが取り返す。 なぜそんなアクティブな授業が可能なのか。子どもってもっと気難しい存在じゃないの? なんて、ついつい不思議に思ってしまう。子どもをやる気にさせるマジックはきっと大人にとっても参考になるはずだ、ということで沼田先生にいろいろな話を聞いてきた。たぶん新人教育に悩む先輩社員なんかにも参考になるだろう。 「先生の授業はお笑

    この小学校先生がすごい! 子どもたちのやる気を引き出す数々の仕掛けとは
  • 子供が学ぶべきはプログラミングよりもデジタルリテラシーだ | readwrite.jp

    教育についてシリコンバレーからワシントンに渡って言われていることは「全員プログラミングを学ぶべきだ」という事である。しかし技術者から学生の親に伝わるまでの間、何かが欠落している。 こう否定しよう。全員がプログラミングを学ぶ必要はない。プログラミングは常に進歩し続ける技術における1つの側面でしかない。 プログラミングを学ぶことと、テクノロジーの根を理解するということには大きな隔たりがあり、多くの人にとっては後者のほうがはるかに重要だ。 学生や、将来のキャリアにおいて活躍したいと思う人たちが身に付けるべき事は、ITリテラシーだ。 自動車学校があってなぜプログラミング学校はないのかコンピュータやモバイルデバイスを使うことは、車の運転に少し似ている。複数の要素がテクノロジーが機能するために働いている。 私が初めて運転を習う時、母は2つの事を教えてくれた。タイヤの替え方とオイルのチェック方法だ。ト

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  • 茂木健一郎先生と小保方問題その他で対談したんですが、話が噛み合いませんでした(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

  • ちきりん氏のお粗末な科学教育論 - バッタもん日記

    1.はじめに 私はちきりん氏という人物に全く興味がありません。せいぜい、「安っぽい人生訓を勿体ぶって切り売りしているだけの三文自己啓発屋」という程度の理解しかしていません。 そのちきりん氏がブログで科学教育について何やら語っていました。 下から7割の人のための理科&算数教育Chikirinの日記) これを読んで大いに呆れたので、批判してみたいと思います。 2.子供の可能性を狭めるな ちきりん氏は自身の経験に基づき以下のように理科教育を語っています。 あたしに理科とか数学とか教えるの、ほんとーに時間の無駄! 義務教育である、小学校、中学校、それに事実上の義務教育である高校をあわせた 12年間の理科教育のうち、私に必要だったのは小学校レベルの理科だけであって、中学・高校で、化学、物理、生物、地学などを学ぶ必要は全くなかったと思います。 算数に関しても、中学校1年までに学んだことで十分で、中学

    ちきりん氏のお粗末な科学教育論 - バッタもん日記
  • 「自分でやった方が早い病」とは

    ■病状 ・「自分でやった方が早い」という考えに陥る ■2つの発症パターン ・まわりよりも自分ができてしまうから ・相手に悪いし、お願いが下手だから ■かかる人 ・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い ■病の原因 ・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない ・まわりの人と一緒に成長しようとしない ・基的な教育ができていない ・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない ・自分大好き人間 病状が悪化すると・「孤独な成功者」になる ・仕事を抱え込み、病気も抱え込む ・つねに「誰かのせい」にして生きることになる ・笑顔と余裕が消える ・いつまでたっても優秀な人が現れない ・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる ・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる 克服できると・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる ・まわりができる人だらけになり、大き

    「自分でやった方が早い病」とは
  • 品質工学から見た日本の教育の疑問点 | タイム・コンサルタントの日誌から

    「うちの工場はきちんと品質を確保している。だから出荷しているのはすべて良品ばかりだ。」と製造業の人が胸を張って話す姿を見て、不思議に思う人は少ない。当然のことだからだ。もし、「うちの工場はきちんと品質を管理している。だから、出荷品の品質はまちまちで、グラフを描くと不良も含めて正規分布になる」と答えたら、逆にそんなおかしな工場の製品は買いたくないと、誰しも思うだろう。 良品のみを出荷する。製造するからには、すべて良品となるように目指す。これが製造業のふつうの考え方だ。製造工程にやむをえない変動要因があり、そのために出来上がりにばらつきができるとしても、それをいかに小さくするかを工夫するのが技術である。 テストには費用がかかる。どんな些細な検査であっても、そのために測定器や電力や、人件費が必要になる。「テストはコスト」なのである。だから、全品検査よりも抜き取り検査の方が、(結果の品質を同じよう

    品質工学から見た日本の教育の疑問点 | タイム・コンサルタントの日誌から
  • 伊藤穰一:学ぶべきは、「何を学ぶか」ではなく、「どうやって学ぶか」

  • 総長紹介 | 立教大学

    立教大学の歴史は、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズが1874年に創立した「立教学校」から始まります。キリスト教が厳しく弾圧されていた時代に聖書と英学を教える私塾を開くのは、計り知れない苦闘があったことでしょう。それでもウィリアムズは教え伝えること自体が自分の使命だと確信し、需要のない中でも教育を行う道を選択しました。145年以上を経た現在においても、その姿勢は失われていません。立教大学は世間のニーズに応える形で教育を展開するのではなく、「普遍的真理を探究し、この世界や社会のために働く者を生み育てる」というミッションのもと、人類が築き上げてきた知の体系とそれらを社会に還元していく力をもつ人を育む場として存在しているのです。 学の教育方針の基軸であるリベラルアーツは、単なる教養教育などではありません。人類が長い歴史の中で探究してきたいまだ到達し得ない理想——それを追い続ける

    総長紹介 | 立教大学
  • お家で勉強できる子 - teruyastarはかく語りき

    人は毎日忙しい。 いや、暇といったら暇なんだけど、忙しいといったら忙しい。 勉強しようと思うほど身が入らず 漫画やTVやネットやゲームに逃げたりする。 ちょっとだけ学生をみる機会があって、過去の経験含め 勉強できる子、できない子で興味深い話が聞けたのでメモしておく。 パターン1・勉強したくないけど、しないといけない 勉強はしたくないけどお金は欲しい。 努力はしたくないけど名声を得たい。 こういう動機の子はいつまでもスタートしない。 だってしたくないんだから。 よくよく聞くと「この勉強に意味はあるのか?」という将来に迷ってたり、 「この勉強法は正しいのか?」と「勉強法の勉強」でずっと迷ってたり、 結果の失敗だけでなく、準備段階の失敗すら心配している。 そういう子には、 「これまで迷ってた時間があれば全部試せたろ? 迷路脱出は片っ端から壁にぶつかる方がずっと速いぞ。」 と厳しい言葉をかけてあげ

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  • マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記

    あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。 このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で 「バスケがいいでーす」 「ソフトボールがいいでーす」 「ドッジボールがしたいでーす」みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。 そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小

    マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記
  • 教えないという教育法 - 教えることが上手な人の5つの教え方 - sadadadの読書日記

    子供や新人に対して教えることは山のようにあります。しかし、教える側の都合で無理矢理、教えたとしても労多くして功少ないことが多いものです。いくら努力して頑張って教えられる側が学ぶ気がなければそもそも意味がありません。しかも教える側も教育に割ける時間や手間は無限に有るわけではありません。つまるところ『どのように教えるか』を考えなければ教育効果など期待てきないのです。 「教える技術」の鍛え方―人も自分も成長できる 作者: 樋口裕一出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2009/04メディア: 単行購入: 7人 クリック: 33回この商品を含むブログ (10件) を見る 教育ママが空回りする理由 教える側は教えられる側よりも沢山のことが観えています。だからといって見えていないものを無理に見せようとすれば、ある種の強制力を伴わなければなりません。しかし、それは答えを目の前にぶら下げてべさせるよう

    教えないという教育法 - 教えることが上手な人の5つの教え方 - sadadadの読書日記
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