私が「報道特集」のディレクターをしていた頃、プロデューサーから「売り込みネタがあるから話を聞いて番組にしろ」と言われた。某地方局からの「売り込み」で、「広島と長崎の両方で被爆をした珍しい人物がいる。その人物を取材してドキュメンタリー番組を作ったら、ローカル局の大会で優秀賞を取った。出来ればこの話を全国ネットで放送して欲しい」と言う「売り込み」だった。 その人物は被爆者団体の幹部を務めていた。住まいは関西だが「反核運動」などで時々は上京する。たまたま「反核運動」の全国大会が東京であり、上京した本人と面会した私は、珍しい被爆体験の話を聞いた。本人によれば、戦時中陸軍の航空隊に所属し、偵察飛行を任務としていた。8月6日に偵察のため調布飛行場を飛び立って太平洋を南下すると、眼下に日本に向かう米空軍爆撃機の機体を見つけた。後を追尾すると爆撃機は広島方面に向かい、その後白い閃光に目がくらんだ。キノコ雲