大手新聞社の中でも、「高給取り」と羨望を集めている朝日新聞社。全国の総局・支局に配置されている記者だけで2,500人以上を抱えており、その他、営業部や広告部、事業本部など、社員ですら30歳で年収1,000万円ということを考えれば、人件費だけで莫大な支出になる。新聞の部数が減る一方で、人件費だけがかさみ、さまざまな処置を施しているというのは既報の通り。 しかし、ここにきて、社を挙げての最終手段に出るという。 「それはズバリ、早期退職ですよ。組合が強い朝日の場合、法に触れない限りはクビにはならない。以前、女子社員にストーカー行為を働いた本社勤務の男性記者がいましたが、彼ですら地方へ異動させるという”お咎め”に留まった。ところが、いよいよ切羽詰まったのか、本社は早期退職者を募り始めたそうです。40代の中堅社員らは、『条件次第では応募しようかな~』と冗談交じりに話しているようですよ」(朝日新聞社社
「週刊朝日」2023年 2/3 号(朝日新聞出版) 「ついに力尽きたのか。朝日は伝統を守る気などなかったのか……」 そう週刊誌デスクが嘆息するのは、朝日新聞出版が発表した「週刊朝日」の休刊。1922年創刊の老舗週刊誌だったが、5月末で休刊となることが明らかになった。 「週刊朝日」は最古の総合週刊誌であり、新聞社系週刊誌の先駆けだ。1950年代には発行部数100万部を超え、その成功を見て他の出版社が次々と参入。「週刊文春」(文藝春秋、1959年創刊)、「週刊新潮」(新潮社、56年創刊)などが生まれた。 ベテランライターが懐かしむ。 「司馬遼太郎の『街道をゆく』、山藤章二の『似顔絵塾』といった名企画がある一方、2000年にはKSD事件をスクープし、他の週刊誌に比べても信頼や安定があった。『週刊誌の取材は受けないけど、週刊朝日ならいい』という識者もいたほどです」 ミソをつけたのが2012年、ノン
「週刊朝日」2023年2023年2月24日号(朝日新聞出版) 既存メディアの生き残りをかけた戦いは、もはやのっぴきならないレベルにまで達しているのは間違いない。 1922年創刊の総合週刊誌「週刊朝日」(朝日新聞出版)が5月末で休刊することが、1月19日に発表された。「サンデー毎日」(毎日新聞出版)と並ぶ日本最古の老舗週刊誌がついに退場することとなり、今後は休刊ドミノも予想されている。 「週刊朝日の実売数は、コロナ前の3年前と比べると、4割近く減少。10年前との比較であれば、ほぼ全ての週刊誌が5割以上減らしています。情報がタダで手に入るネット時代において、紙の雑誌を読むのは高齢者くらい。デジタル市場が伸びているとはいえ、部数減、広告費減のペースはそれ以上ですから、まったく補えていないのが現実です」(出版関係者) この状況に、ジャーナリストの青木理氏は「週刊現代」2月4日号(講談社)にて、「一
違法な長時間労働を社員に強いていた疑いで厚生労働省東京労働局の強制捜査を受けた大手広告代理店の電通が、社員手帳にも載せている社訓「鬼十則」を来年の手帳より掲載しない方向だというが、この件で肝を冷やしているのが、電通と強固な関係にある各テレビ局だ。 ある局の社員によると、有力役員が「次に(当局に)探られるのはこっちの腹の中かもしれないから、徹底して現場で無理な労働がないよう指導しないと」と警戒。これを受けた各番組のプロデューサーらがスタッフらにそれを通達しているという。 電通の「鬼十則」は、4代目社長吉田秀雄が1951年に書いたという10カ条で、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは…」と、命より仕事が大事であるというような言葉が含まれており、激務が当たり前の社風を示すものと見られている。 その空気はテレビ界にもあるようで「時間どおり放送を終えるのが絶対的な使命で、そのためな
イメージ画像(足成より) 世界のメディア王といえば、真っ先にその名が挙がるのが、経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」などを傘下に抱えるルパート・マードック氏(87)だろう。また日本では、プロ野球読売ジャイアンツの“陰のオーナー”として君臨し、時の政権にまで影響力を持つ「ナベツネ」こと読売新聞社の渡邉恒雄主筆(92)がいまだ圧倒的な存在感を放っている。 一方で、日本各地には、地元で大きな影響力を持つ地方メディアも点在している。そんな“プチメディア王”をめぐる騒動が相次いで勃発した。 最初の舞台は、沖縄県宮古島市で発行されている日刊紙「宮古新報」。1951年に創刊した「時事新報」を前身とし、68年に誕生した地方紙のひとつだ。 1月10日、同紙の発行元である宮古新報社の経営陣が労働組合に会社清算と、全社員の解雇を通告。これに反発した組合側が「一方的な通告が不当労働行為に当たる」として、沖縄
イメージ画像(足成より) もはや「新聞離れ」という言葉さえ死語になりつつある“死に体”の新聞業界。その窮状を象徴するかのようなニュースが報じられた。 全国紙の一角を占める産経新聞の販売店が、高額な景品で長期契約の勧誘を行っていたことが発覚。景品表示法に違反する疑いがあるとして、大阪府消費生活センターが大阪の本社を立ち入り検査していたという。 「大阪府内の販売店が、数十万円相当のドラム式洗濯機と引き換えに、1人暮らしの高齢者らに長期の新聞購読契約を勧誘。その後、解約を申し出たところ、『高額な解約金を求められた』として、自治体に苦情が寄せられていたのです。景品表示法は、商品に見合わない高額景品を用いた勧誘を禁じています。自治体側はこれまで再三にわたって指導していましたが、改善が見られないため、今回の措置に踏み切ったようです」(事情を知る関係者) 浮き彫りになったのは、景品という餌で釣るしか消費
イメージ画像 新聞業界に大逆風が吹いている。その象徴が、全国紙の一角を占める産経新聞の苦境だ。 「部数減に歯止めがかからず、広告収入は減少の一途をたどっている。2月には、社員の約1割に当たる180人のリストラを断行。それでも経営の先行きには不透明感が漂っており、中堅・若手社員が次々と社を去っている状況です」(同社関係者) なにより関係者に衝撃を与えたのが、業界団体「日本新聞協会」が公表した、来年の新卒採用者の数である。 「ほかの全国紙が数十人規模の新卒社員を確保する中、産経はわずか2人。しかも、そのうちの1人は入社を辞退し、内定式には1人しか顔を見せなかったという話です。社内では『来年以降、会社が存続するのか』と不安の声が渦巻いています」(同) ただ、崖っぷちに立たされているのは、産経だけではない。インターネットの隆盛に押され、新聞は業界全体が総崩れしているのが実情だ。新聞協会の調査による
創刊150周年を迎えた毎日新聞は2月21日、動画SNSのTikTokに“ラップ動画”を投稿した。博報堂の研究機関が開発した「AIラッパーシステム」を活用し、新聞記事を素材に音楽や文字の動きを生み出すのだという。朝日新聞も3月3日にHip Hopアーティストとのコラボを開始している。 いかにも若者世代に迎合した取り組みだが、果たして部数が減り続ける新聞復活の起爆剤となりうるのか。元広告代理店勤務で、現在はネットサービス会社でマーケティングディレクターを務める40代男性に、企画の問題と可能性について聞いた。 惰性で購読している高齢者は減っていく ――毎日新聞が「Z世代プロジェクト」として“ラップ動画”をTikTokにアップしました。朝日新聞も歩調をあわせるように、韓国出身の「移民ラッパー」Moment Joon氏の動画をYouTubeにアップしています。ご覧になってどうお感じになりましたか。
イメージ画像(足成より) 新聞業界の雄・朝日新聞が、従業員の年間給与を一律165万円引き下げることを決めた。この大幅賃下げをめぐっては、同社の労働組合が激しく抵抗していたが、部数減に歯止めがかからない現状を前に、最終的には受け入れるほかなかったようだ。 しかしこの賃下げは、ひとりの社員の命を奪う結果となってしまった。賃下げ決定の翌日の5月13日、多摩川で朝日新聞労働組合副委員長を務めていた30代の男性の遺体が発見された。労組幹部として賃下げを回避できなかったことを苦にした自殺とみられる。 社会正義の担い手であるはずの大手マスコミで、労組幹部が命を絶った例として思い出されるのが、共同通信社で起きた「盗撮被害女性社員の自殺事件」だ。 2017年11月、「週刊文春」(文藝春秋)が同社の50代男性デスクによる部下への盗撮騒動を報じた。 盗撮の“容疑者”とされるのは、写真などを取り扱うグラフィックス
「週刊朝日」2023年 2/3 号(朝日新聞出版) 1922年創刊の老舗週刊誌「週刊朝日」(朝日新聞出版)が5月末で休刊となることが判明した。母体である朝日新聞の部数激減は大きな話題になっているが、系列雑誌も厳しい状態だったことが明らかになった。 「週刊朝日は新聞社系週刊誌の草分けで、戦後グングンと部数を伸ばし、ピーク時には発行部数が100万部を大きく上回った時期も。新聞配達網を活かし、宅配が売り上げの多くを占め、大きな影響力を誇りました。しかし、良くも悪くもセンセーショナルな出版社系週刊誌に徐々に押されるようになり、部数はジワジワと減少。最新の発行部数が7万部程度だったということは、実売は5万部以下で、休刊は時間の問題でした」(フリー雑誌記者) いくら時代が違うとはいえ、売り上げが全盛期の数%となっては休刊も致し方ない。朝日新聞も部数減は顕著で、10年で部数が半減。ここ1年で15%も部数
web拍手を再設置。 昔使っていたのものがあったことを思い出したので、こちらを使用することにしました。 お礼絵はそのときに残っていたイラストです。今との違いに驚くかもしれませんが(笑) お礼ページは少なくなりますが一応公式のものなので動作は安定していると思います。 -あ- 秋静葉 / 秋穣子 / アリス・マーガトロイド / 飯綱丸龍 / 十六夜咲夜 / 因幡てゐ / 犬走椛 / 茨木華扇 / 伊吹萃香 / 今泉影狼 / 宇佐見菫子 / 宇佐見蓮子 / 牛崎潤美 / エタニティラルバ / 戎瓔花 / 小野塚小町 / 奥野田美宵 -か- 鍵山雛 / 火焔猫燐 / 霍青娥 / 風見幽香 / 幽谷響子 / 上白沢慧音 / 河城にとり / 稀神サグメ / 鬼人正邪 / キスメ / 吉弔八千慧 / 霧雨魔理沙 / 菅牧典 / 雲居一輪 / クラウンピース / 驪駒早鬼 / 黒谷ヤマメ / 小悪魔 /
●英語圏では朗読が盛んAmazonでは本の朗読を聞けるAudibleというサービスを提供しています。 私が留学していたアメリカでは20年以上前でも、本の朗読が入ったCDやカセット(年がバレる?)が大人気で、本屋さんやスーパーにも大量に置いてありました。今住んでいるイギリスでも一定の人気があり、図書館で貸し出したりしています。カナダやオーストラリアでも人気です。 今はネットでサクッと聞けるようになったので便利ですね。 英語圏でこういう朗読が人気なのには、英語というのが「音の原語である」というのがあると思います。 アルファベットの言葉というのは、象形文字の漢字と違って、その言葉を口で音にすることが重要な原語です。 アルファベットは音を表す記号なので、漢字に比べると見た目や意味合いで遊ぶ傾向が薄く、口に出してその抑揚やリズムを楽しむという側面があります。 だから英語圏では朗読や「スポークンワード
島根フィルムコミッションネットワーク事務局(島根県観光連盟内) 島根県松江市殿町1番地 TEL:0852-21-3969 FAX:0852-22-5580 Copyright 公益社団法人 島根県観光連盟 All Rights Reserved.
連絡通路を渡って開店した大丸ピーコック千里中央店へと向かう人たち(J.フロントリテイリング史料館提供) 北大阪急行電鉄・千里中央駅前の商業施設「オトカリテ」(大阪府豊中市)が4月30日に閉館する。千里ニュータウン玄関口の商業施設として半世紀超にわたり親しまれたが、老朽化が目立ち閉館を決めた。同館の主要テナント「ピーコックストア千里中央店」の前身は昭和45年に開業した「大丸ピーコック千里中央店」。48年の石油ショックを象徴する事象「トイレットペーパー(トイレ紙)騒動」の全国発端となった店舗だ。昭和の歴史に名を刻んだ「証人」の1つが姿を消す。 大丸ピーコック千里中央店は、45年3月11日オープン。周辺には千里阪急百貨店なども開業、大阪・千里を会場とした大阪万博の開幕が4日後に迫り、地域は熱気に満ちていた。 「この日万博への足、北大阪急行千里中央駅前の(中略)同店には、早くも開店1時間以上も前か
東方元ネタwiki 2nd トップページページ一覧メンバー編集 東方靈異伝 最終更新:ID:efWPNmzfXA 2020年10月25日(日) 20:31:39履歴 Tweet 東方靈異伝 〜 Highly Responsive to Prayers. 東方Project第1弾。巫女さん1画面アクションシューティング。(ブロック崩し)。 1995年制作、東京電機大学の第20回鳩山祭(1996年11月)展示、C52(1997年8月)頒布。 ZUN氏総合製作による NEC PC-9800 ・ EPSON PC-486/586用アクションゲーム。 巫女さんがパタパタでボールを巧みに操り進行していくゲームです。 1996年の鳩山祭で展示した際には非常に多くの好評を頂いた作品ですので 絶対に損はさせません。 (CanBe音源には対応できません) アミューズメントメーカーズ公式サイトより キャラク
坪井 九右衛門(つぼい くえもん)は、江戸時代後期の長州藩士。佐藤家(内閣総理大臣・岸信介、佐藤栄作兄弟の実家)に生まれ(信介、栄作は兄の玄孫)、幼少時に坪井家の養子になった。 村田清風の藩政改革に協力して功を挙げた。清風と共に藩政改革の建白書を毛利敬親に提出している。しかし清風の2回目の藩政改革は、清風の政敵である椋梨藤太の台頭で失敗し、しかも清風は安政2年(1855年)に中風が原因で他界した。このため、坪井は椋梨により失脚を余儀なくされる。 後に椋梨の失脚により、再び藩政に参与したが、坪井は尊王攘夷よりも佐幕派を支持したため、過激な尊王攘夷派が多い長州藩内部で孤立してしまい、文久3年(1863年)にその過激な一部の尊王攘夷派によって萩城下の野山獄で処刑された。享年64。
佐藤 信寛(さとう のぶひろ、文化12年12月27日(1816年1月25日) - 明治33年(1900年)2月15日)は、江戸時代後期の長州藩藩士。幼名は三郎、のち通称を寛作、諱を信寛と名乗る。号は蝦洲。正五位。佐藤家第10代当主。 子孫に首相を務めた岸信介(姓が違うのは岸家へ養子に出されたため)・佐藤栄作の兄弟(曾孫)、および安倍晋三(来孫)がいる。 現在の山口県熊毛郡田布施町に、萩藩士・佐藤源右衛門(佐藤家第9代当主)の長子として生まれる。源右衛門の弟には坪井九右衛門がいる。 藩校明倫館に入り山県太華に学び、江戸にて清水赤城につき長沼流兵学を修め、吉田松陰に兵要禄を授けた。井上馨や伊藤博文、木戸孝允らとも親交があったという[1]。 藩内では郡奉行筆者役を務めた[2]。 藩に仕えて海防手当方郡奉行所などを歴任し、明治維新後には浜田県権知事、島根県令などを務めた[2]。 明治11年(187
岡山市立内山下小学校から[19][20]岡山中学校に進学したが、学費や生活費の面倒を見ていた叔父の佐藤松介(医師・岡山医学専門学校教授)が肺炎により急逝したため、2年と1ヶ月足らずしかいることが出来なかった[21]。山口に戻り、山口中学校に転校。中学3年生の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となる。 1914年(大正3年)、山口中学校を卒業する。間もなく上京して高等学校受験準備のため予備校に通った[注釈 4]が、勉強より遊び癖の方がつきやすく、受験勉強そっちのけでしばしば活動写真や芝居を見に行ったりした[22]。第一高等学校の入学試験の成績は最下位から2、3番目だった[22]が、高等学校から大学にかけての秀才ぶりは様々に語り継がれ、同窓で親友であった我妻栄、三輪寿壮とは常に成績を争った。 1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部に入学。法学部の入学試験はドイツ語の筆記試験だけで、難なく
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く