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2014年3月30日のブックマーク (2件)

  • 俺に一番影響を与えた人

    子供の頃から「坊ちゃま」「坊ちゃま」と言われて育った。 それは自分が病院の跡取り坊っちゃんだったからである。 しわくちゃな手をした人たちが自分を取り囲んで、 「手がきれいだ」とか「賢そうだ」とかいう。 自分だけきれいな恰好をして申し訳ないような、浮いているような、居心地の悪さが常にあった。 とはいえ期待されていたかというと全く逆で、学究肌の父親は、「お前は医者になるな」が口癖であった。 自分も弁護士になるつもりでいたから、そういう点では父親とは全くぶつかることもなく、仲良く過ごしていた。 「東大理Ⅲしか許さない」とか言っていたとぼけた祖父も中学の時に亡くなったので、特になんのプレッシャーもなく育った。 高校3年のとき、病気になって手術を受けた。 都内の大きな病院だが、執刀医は父親の親友であった。 受験前なのに勉強道具を持っていかなかったのは、どうせ病気をしているのに勉強したって効率が悪いか

    俺に一番影響を与えた人
    mohri
    mohri 2014/03/30
    「知らない人に頭を下げて頼まれたから、という理由」
  • なにが「袴田巌」を死刑から救ったのか - 門田隆将オフィシャルサイト | kadotaryusho.com

    列島を駆け抜けたビッグニュースだった。「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」「証拠が捏造(ねつぞう)された疑いがある」。村山浩昭裁判長の痛烈な文言と共に、48年という気の遠くなる年月を獄中で過ごした袴田巌死刑囚(78)の再審請求が認められ、史上初めて「直ちに釈放」された。 3月27日午後5時20分、東京拘置所から釈放された袴田死刑囚の姿は、自分に起こっている“現実”をきちんと理解できているのかどうか、判断しかねているように私には見えた。 拘禁症による心神耗弱と糖尿病の悪化という病状は、その姿が如実に物語っている。 1966(昭和41)年に静岡県で一家4人が殺害、放火されたいわゆる「袴田事件」は、再審の厚い壁が「ついに破られた」のである。 私は、「ああ、“裁判員制度”が袴田死刑囚を解き放ってくれた」と、その袴田死刑囚の姿を見ながら思った。すなわち「司法制度の改革」が、長い

    mohri
    mohri 2014/03/30
    「日本の99%の有罪率を支えたその悪しきシステムは、裁判員制度を睨んでスタートした公判前整理手続によって崩壊した。」そうなの?