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2008年5月25日のブックマーク (4件)

  • 他人の犠牲を善行に見せるには - 非国民通信

    色々なところで、ものの順序が入れ替わることがあります。主客転倒とも言いましょうか。例えば、あの光市母子殺害事件の判決にもそれが見られました、従来は「他に方法がない場合に限り死刑にする」のが順序でしたが、それが「死刑を回避する理由がない限り死刑にする」との宣言があったわけです。あの裁判での最大の転換はここにあるように思ったわけですが、往々にしてこの入れ替わりは自覚されないまま行われてしまうものです。 さて、「トリアージ」なる概念があります。まぁ災害医療現場など制約のある状況下で、最善の結果に繋げるべく患者を選別することですね。別に目新しいものでも何でもありませんが、これを得々として語る人がいたわけです、経営学の分野で。それにツッコミを入れているのが↓こちら↓です。 あのー、それ、普通にかわいそうなんですがーー「トリアージ」という自己欺瞞 ―(元)登校拒否系 要約すれば、権力の側から一方的に人

    mojimoji
    mojimoji 2008/05/25
  • 「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog

    もちろんトリアージを拡大解釈するなってことは大事なんでしょうけど、どうして人はトリアージみたいなものを拡大解釈したがって、しかもそういうエントリには賛同ブコメがいっぱいつくんだろうってのも大事では。いや、「誰かを切り捨てなければ誰かを助けることはできない」っていうのが、彼の中で事実(Wirklichkeit)を通り越して真理(Wahrheit)にまで達しちゃってる人っていますよねっていう話なのですが。 http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200308.html#02 なぜこんなに「月宮あゆが助かる〜」という考えを僕が憎むかというと、「誰かが助かることで、他の人は助からない」という考えというのが、ある種の奇妙な「社会性」みたいなものを他人に押し付けるために使われることが多いからなのかも。 倫理的な問題を考えるときに、「思考実験を構成して、選択肢のどれを選ぶかについ

    「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog
    mojimoji
    mojimoji 2008/05/25
    「どうにかできそうな誰かの犠牲」の話から目をそらすために、「どうにもできない誰かの犠牲」の物語が要請されてるんじゃないか、と思ったりする。
  • 冷たい方程式 - Wikipedia

    『冷たい方程式』(つめたいほうていしき、原題 The Cold Equations)は、トム・ゴドウィンによって「アスタウンディング・サイエンスフィクション」1954年8月号に発表された短編SF小説である。SF小説史上もっとも注目に値する作品のひとつと見なされている[1]。 作を表題作とする短編集も刊行されている。 あらすじ[ソースを編集] 惑星・ウォードンを調査していたグループの1つで、致死性の疫病が発生した。 ウォードンに血清を届ける小型宇宙船には、燃料も酸素も最小限しか積まれていない。発進後、パイロットは船内に隠れていた密航者を発見する。規則に従うならば、密航者はエアロックから真空の船外へ放棄しなければならない。しかし、ウォードンで調査の任に携わっている兄(疫病には罹患していない)に会うために密航したその18歳少女は、罰金程度で済むと思っていた。 パイロットは、燃料が最小限しか積ま

    mojimoji
    mojimoji 2008/05/25
    関連で、言及されているのを見るので。「前提がエラーに対して十分なマージンのないシステムによるもので、物理学としては良いが工学としては酷い話」。うん、まったくそのとおり。
  • 正しく葬るということ | こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか

    正しく葬るというのがだいじなことなのだろうと思う。と、内田樹先生のお言葉を流用してみる。内田先生の原典としては明日は明日の風と共に去りぬ-2002年11月の11月29日分を念頭に置いている。 ここで内田先生の御名前を出すのは、オリジナリティは私自身も主張しないかわり人まねだというご批判はスルーさせていただきますという宣言である。虎の威を借ろうとか責任を回避しようとか言う魂胆はないつもりだ。 人間に限らず、ものごとにはそれなりに寿命というものがあり、いずれかの時点でこの世から去ってゆく。でも去ってゆくものも、それを見送るものも、その「死」を迎え、送り、その後の時間を過ごすための、それなりの作法あるいは条件といったものがある。死者(人間に限らずだが)の正しい葬りかたとも言えようか。 去りゆくものには、去りどきだと悟っていただくこと。これまでの自分の有り様を自分自身で肯定していただくこと。去った

    正しく葬るということ | こどものおいしゃさん日記 うしろすがたのしぐれてゆくか
    mojimoji
    mojimoji 2008/05/25
    役割、去り際、という言葉に、ハイデガー的なヤバさを感じるけども。スッパリ切れない微妙な問題の周辺。