私は家族との関係に大きな溝があり、 この度の結婚も、 母や妹に知らせるような関係ではないことは、 皆さんはすでにご存知のことと思います。 結婚したことで、 この家族問題の火に、 再び油を注ぐ女性週刊誌。 その週刊誌のインタビューに 私への逆恨みをぶちまけ、 私たち夫婦を拗らせようと、 私の足を引っ張る愚かな母には、 もう本当にうんざりし、 私だけではなく、 夫に対しても あることないこと誇張して暴言を吐く。 その浅ましい様子に、 私はこの度、 人間としてのモラルを保ちながら、 ある程度この場で 発言させていただくことに致しました。 『リベラル ライフ』の著書に 書いたことは全貌の一部であり、 すべて書く必要もありませんし、 母や妹も生きづらくなるのではないかという 私の考えから、 内容には制限がありました。 私はあんなこともこんなこともされましたと、 その被害ぶりを書くのも、 もちろん私の
漱石の「明暗」(参照)をこのところ、二週間くらいかけてだろうか、のろのろと再読していた。電子ブックを使った。i文庫というモバイル端末向けアプリケーションに青空文庫のテキストを入れたものである。 考えつつ、辞書を引きつつ読んだ。当初、さほど再読するつもりもなかったのだが、読み出したら引き込まれて止まらなかった。それでいて速読もできないという奇妙な塩梅だった。この小説は再読するとかくも面白いものかとあらためて思う。結末は既知である。結末がないことを知っているというべきかもしれない。だからこそ鏤められた伏線を読み解くパズルのような面白さがある。 一昨日だがようやく読み終えて、上質の文学だけがもたらすある恍惚感に浸った。言葉にするのは無粋でありながら言葉にせずにはおれない衝迫性のあれである。 清子の印象は大分変わった。彼女が由雄と付き合ったころは処女であり、そして肉体関係ということでは由雄が最初の
評価:★★★★★星5つ (僕的主観:★★★★★星5つ) 非常に興味深い物語だった。物語の方向性、訴えたいことの本質と、作者の絵柄がとてもマッチしていて、僕はとても好きです。ちなみに、以下は、思いっきりネタバレですが、、、このブログは作品の解析のために大抵ネタバレしちゃうので、それが嫌な人は、ここでやめておいてください。 この曲がすごい好きでねぇ、、、ってパフィーなんですね、これ。びっくり。なつかしいなー。娘(3歳)が、ここに出てくるうさぎが大好きで、うささんだ、うささんだ、といつもとびはねてるんです。この映像、なんというか、派手さはないんですが、子どもにぐっとくる作りなんですよね。いやー演出考えているなー。どうなんだろう?渋めの作品なので、とても幼児が見る作品とは思えないが・・・・って、これいったいターゲット層は誰なんだろう???・・・・でも、ちゃんとそのへんの感覚を大事に丁寧に作られてて
自分の性欲について、マイナスのイメージはない。オナニーして罪悪感を感じたことなんてないし、虚しいとも思わない。いやうそたまに思うけど、それは私がセックスしたいのにできなくて代わりにオナニーをしてるから思うだけで、嫌悪感はまったくない。 マイナスのイメージはないのに、自分の性欲のことをちゃんと考えようとすると、あまりにもそれがドロドロに煮詰まっていて、苦痛だったりする。 性欲が満たされたことが、まったくないわけではないけれど、満たされてもそれは一瞬のことでまたすぐに飢えた状態がやってくる。食べても食べても毎日ご飯を食べないとお腹がすくみたいに、おいしいものをお腹いっぱい食べても次の日になればまたお腹がすいている。食べ物ならいい。いつでもどこでも調達できるし、そんなにお金もかからないし、おいしいものを食べるにも、自分で工夫したりどうにでもなる。 セックスはそういうわけにいかない。そこに至るまで
補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO) 作者:マーチン・ファン クレフェルト発売日: 2006/05/01メディア: 文庫 意識的な軍事知識補強シリーズ第一弾として読了。自分の骨となり、読む前の状態を想像できなくなるほど効果的でした。 「戦争遂行」という行為が最弱リンクモデル的思考で考察されています。鎖の強度を決める最も弱い輪に当たる部分、それが補給。そして補給の中にも弱い輪が存在。 「素人は戦略を語り、プロは兵站を語る」と云われるものの、プロらしく語られる兵站の内容についての問題点を認識できるようにもなりました。 このエントリは、読書中に現れた著者に対する疑問、ミリタリーファンの理解様式に対する疑問(物資輸送に注力すれば解決するという問題ではない)を前面に出した読み方です。 グスタフ・アドルフと中世戦争 戦術の革新者として著名なグスタフ・アドルフも戦略面では補給のくびき
明治の新聞, 雑記 | 02:50 | 1923年の関東大震災は、新聞界にも激震をもたらし、大阪系の『朝日新聞』と『毎日新聞』が飛躍するきっかけとなった。業界全体でも震災後の発行部数は倍増した。しかし今回の地震は、紙の新聞の凋落を加速させるだろう。 1.関東大震災と新聞業界の激変ラジオもテレビもまだ存在していなかった大正時代、人々が情報を得るのは、口コミを覗くと新聞に限られていた。関東大震災前の東京では、10万部以上を発行する新聞社が10社も存在し、群雄割拠状態となっていた。しかし1923年9月1日の震災は、多くの新聞社に大きなダメージを与えた。この地震はちょうど昼食時に起こり、しかも風が強かったため、東京では火災が広がり、多くの新聞社が社屋を焼失した。辛うじて難を逃れたのは『東京日日新聞』(毎日新聞東京本社の前身)、『報知新聞』(読売新聞グループのスポーツ紙、当時は一般紙)、『都新聞』(
⇒「現代思想」2001年11月臨時増刊号なんてどうすかね - kugyoを埋葬する 可能世界実在論ともいうのかな。 一般的な意味でのロジカルにはこれらは確率の意味論だろうと思う。エヴェレットの多世界解釈なんかも、結局は、量子力学の確率の意味了解の違いで、確率から見れば同値というか。Historical Sum(経路積分)とかの考えは終末論的というか。すべての確率が終了すれば量子論と実在論は合致するというか。 で、これは未来という時間における「真」の分布の了解なのではないかな。(終末論と同じ意味合いで。) というあたりで、確率論の不毛(「明日の雨は60%」の意味はゼロ)、時間の不在といった大森荘蔵・道元的な観点からは、ナンセンスなのではないか。曖昧な言い方だけど。 これは別の言い方をすると今というこの時の意識と私の意識がどう未来に自身を見るかという、自意識の構造になるのでは。 で、人類意識と
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年10月時点の調査。
ドワンゴは、東証一部に上場しているのにも関わらず、そう、我々が「東証一部」と聞いたときに持つ「ザ・サラリーマン」というイメージに反して、どこか抜けていて、それでいて目指している方向性には非常に卓越した視線が含まれている企業であった。彼らがベンチャー企業からスタートしたのは今や有名な事実であるが、外から見るに現在においてもその精神を失っているわけではなく、また、良い意味での「頭の悪さ」も兼ね備えている。多くのインターネットユーザーは、「某音頭」がテレビCMで放映されたときに「大丈夫なのかこいつら」という感覚を覚えたはずだし、最近では「ニコニコ動画」の運営に当時2ちゃんねるの管理人であったひろゆきを大々的に起用したことが記憶に新しい。このような経緯もあって、ドワンゴは企業イメージとしては非常に稀有な、「ドワンゴならやりかねない」「ドワンゴなら何をやっても許される」というイメージを素直に獲得した
マスコミにインタビューされるのは偶然だとしても、それを拒否する気力も余裕もないときに容赦なくマイクを向けられるのは嫌だろう。今回の地震でも、見ている限りそういう人がいた。積極的にインタビューを受けたわけではなく、呆然としてるところにとつぜんマイクもった人たちが押しかけてきたんだろう。そして、命をかけて「衝撃映像」を撮ろうとするカメラマン達もいる。自分の人生も何もかも犠牲にしてまで、そうまでして衝撃映像を撮りたい、地震の影響なんてほとんどない人たちにも「恐怖を感じさせたい」それだけのためにカメラをまわしつづける人々。一般市民も必死に撮影する。ネットで流して見てもらう。「見てみて、僕が撮ったスクープ映像だよ!」嘘八百をツイッターで流す善意の人々。善かれと思って、の善かれというのはどういうことなんだろう。多分、誰かの役に立ちたいという功名心からだろう。地震をダシにして「いい人」になりたい、俺はた
『ファウスト 第一部』(ファウスト だいいちぶ、Faust. Eine Tragödie もしくは Faust. Der Tragödie erster Teil )は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる悲劇戯曲。『ファウスト』2部作の第一部。1808年に発表。 ファウストは、博士を取得した学者であった。彼はあらゆる知識をきわめ尽くしたいと願い、当時大学を構成していた哲学、法学、医学、神学の四学部すべてにおいて学問を究めるが、「自分はそれを学ぶ以前と比べて、これっぽっちも利口になっていない」と、その無限の知識欲求を満たしきれずに歎き、人間の有限性に失望していた。 そこに悪魔メフィストが、黒い犬に変身してファウストの書斎に忍び込む。学問に人生の充実を見出せず、その代わりに今度は生きることの充実感を得るため、全人生を体験したいと望んでいるファウストに対し、メフィストは言葉巧みに語りか
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ヴァルプルギスの夜" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2013年4月) ヴァルプルギスの夜に焚かれるかがり火(スウェーデン) ヴァルプルギスの夜を祝う群衆(ドイツ・ハイデルベルク) ヴァルプルギスの夜(ヴァルプルギスのよる、独: Walpurgisnacht[1])は4月30日か5月1日に中欧や北欧で広く行われる行事である。ワルプルギスの夜とも表記される。 ヴァルプルギスという名称は、聖ヴァルプルギスの夜の省略形で、8世紀のフランク王国の女子修道院長の名に由来し、祝いは4月30日の夜から5月1日に続く。この祝日は聖ワルプ
フランスの哲学者コジェーヴが『ヘーゲル読解入門』において 人間と動物の差異を「欲望」と「欲求」の差異として定義したことに由来する用語。 以下は東浩紀の用語としての記述。 「欲求」とは、特定の対象をもち、それとの関係で満たされる単純な欲望を意味する。たとえば空腹を覚えた動物は、食物を食べることで完全に満足する。欠乏ー満足のこの回路が欲求の特徴であり、人間の生活も多くはこの欲求で駆動されている。しかし人間はまた別種の渇望をもっている。それが「欲望」である。欲望は欲求と異なり、望む対象が与えられ、欠乏が満たされても消えることがない。…動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要とする。…したがってここで「動物になる」とは、そのような間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏ー満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味する。コジェーブが「動物的」だと称したのは戦後のアメリカ型消費
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