→紀伊國屋書店で購入 ●「私たちの知のあり方は、言説を保存し、記録するシステムの論理によって決定される」 ふだん、私たちは自由に世界を見わたし、物を考えている。私たちは目の前の事物をごく自然にまなざし、それに意味を与えていく。まなざし、意味を与える「私」が世界の中心にいて、世界を知覚し、意味の秩序を与えることは、ふだん私たちが何の変哲もなく行っていることだ。 しかしそうした「人間主義的」なパースペクティヴは、フーコー『言葉と物』によって打ち砕かれた。私たちの世界への関わり方、物の考え方は、あたかもソフトの最適化がコンピュータのフォーマットに従わざるをえないように、その時代ごとに存在する《フォーマット》に規定されている――それが『言葉と物』の主張だった。 キットラー『書き込みのシステム』も、この《フォーマット》を理解する試みとして位置づけることができるだろう。その際、この《フォーマット》を論