タグ

民主主義に関するmorutanのブックマーク (23)

  •  アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義 原著第2版』 - 西東京日記 IN はてな

    もはや政治学の新しい古典とも言っていいの第2版。まだ読んでいなかったのですが、この度第2版が出たのを機に読んでみました。 個人的にこのを読んで得られた知見は以下の3つ。 多数決型民主主義とコンセンサス型民主主義を比べてみた場合、従来言われるコンセンサス型民主主義の欠点というのは実はあまりない。 「特殊」と言われがりな日の民主主義だけど、国際比較で見ると大部分の面で平均的。 「比較」というのはやはり大変。 まず1について。このの一番の主張はこれです。 民主主義には多数派による統治をめざす多数決型民主主義と、統治へのできるだけ広い参加を目指すコンセンサス型民主主義があります。多数決型民主主義の代表は小選挙区制で2大政党が争い勝った政党が単独内閣をつくることが多いイギリス、コンセンサス型民主主義の代表は比例代表制によって多くの政党が議席を持ちそれらの政党が連立して内閣をつくるスイスやベル

     アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義 原著第2版』 - 西東京日記 IN はてな
    morutan
    morutan 2014/08/29
    多数決型とコンセンサス型があり、前者は多数派に依る統治、後者は幅広い意見の収集、小選挙区/比例代表。どちらが優れている、というわけではない。後者のほうが弱者の声が通りやすそう。日本は特殊ではない
  • 「ザ・フェデラリスト」A.ハミルトン J.ジェイ J.マディソン 著

    八年に渡る独立戦争に勝利して独立を勝ち取った北米十三植民地は、独立当初はそれぞれ主権を持つ邦(state)が集まった連合(The United States)という体裁で進もうとしたが、すぐに邦同士で通商や外交、戦費負担、紛争解決の主導権を巡って対立が表面化する。その結果、緩やかな連合ではなく、諸邦が一つの中央政府を持つ主権国家を確立する方向へと転換。1783年、連邦制を土台としたアメリカ合衆国憲法草案が作成、諸邦に提示され、その批准を待つこととなった。 十三植民地中九植民地での批准により発効することとなるが、憲法草案を巡っては、何分独立戦争が英国の王制支配からの脱却を目指したものであっただけに、強い統一政府の存在に対しては拒否感も強く、連邦制の導入と中央政府の設立を訴える人々は「フェデラリスト(連邦派)」を名乗り、憲法批准反対・主権を持った各州政府による連合を唱える人々は「リパブリカン(

    「ザ・フェデラリスト」A.ハミルトン J.ジェイ J.マディソン 著
    morutan
    morutan 2014/02/12
    「野望には野望をもって対抗させ、利害心を権利と結合させることで相互に抑制・均衡させる」を基本に勢力均衡を図る。内閣の議会への優越についてはハイエクアンチョコでも気にされてたなあ
  • 「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾 潤 著 | Kousyoublog

    の統治構造とはいかなるものなのか、その姿を鮮やかに分析した一冊。出版されたのは二〇〇七年なので、民主党政権成立前の自民党政権時代までの分析だが、とても面白くて、勉強になった。『書は、日における議院内閣制の分析を通し、国会、内閣、首相、政治家、官僚制、政党、選挙制度、政策過程などについて、歴史と言う縦軸、国際比較と言う横軸から照射し、日と言う国の統治構造の過去・未来を、構造的に解き明かす試みである。』(はじめにiiより)そもそも議院内閣制は『議会のみが民主的に選出され、その議会の正統性を基盤として内閣が成立』(P18)するという民意を一元的に代表する、権力集中的な制度である。これに対して大統領制は大統領と議会が別々に選出されることで、民意を二元的に代表する権力分散的な制度となる。つまり、原則的には大統領制よりも議院内閣制の方がはるかに政府の権力は強くなるものだ。ところが日において

    morutan
    morutan 2014/02/11
    市民政府二論読んでからのほうがいいのかなあ。。とりあえず基本的理解ものとして。内務省(「戦後日本の国家保守主義」 http://bit.ly/1bR9e8K)との関連も
  • 「ポピュリズムを考える―民主主義への再入門」吉田 徹 著 | Kousyoublog

    公開日: 2012/10/27 : 最終更新日:2014/02/03 カテゴリー:書評読書全般 タグ:思想, 政治, 現代史, 社会, 選挙 そのタイトル通り、現代に生起するポピュリズム現象をその原因、構造、特徴など様々な側面から分析した有用な一冊。先日紹介した『「日の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾 潤 著』と合わせて読むと現代政治の問題点を理解する助けになるだろう。著者はこのの論点として以下の三つを挙げている。『一つは、無意味で安直なポピュリズム批判に再考を促すこと。もう一つは、現代におけるポピュリズム現象が不可避的なものであることを論証すること。そしてもう一つ、もし現代の「民主主義」が不可避的に「ポピュリズム」を内在させているのだとしたら、私たちはどう行動すればいいのか――このでは、「ポピュリズム」や「ポピュリスト」が何であり、どうして生じるのかを解明するとともに

    morutan
    morutan 2014/02/11
    「一九七〇年代以降、低成長時代の到来、人口動態の変化にともなう既存の利益集団に所属しない中間層の登場」とポピュリズム→左派打倒→ネオリベ的リアリズムまで。「日本型ポピュリズム」も
  • 境界を設定すること - sunaharayのブログ

    ちょっと前に松沢裕作先生の『町村合併が生まれた日近代』を読んだ。以下これに関連して考えたことをつらつらと備忘のため。書については、実のところはじめは明治の大合併においてどのような町村合併が行われてきたのかを分析するものだと思ったんだけど、メインテーマはそこではない。町村合併を可能にした条件として、町村合併の前段に人々が生きるために「村」に帰属し、「村」の単位で外の世界と接触していたのが、個人という単位として扱われるようになっていたことを議論するところにある。それは要するに人間が「村」ではなく個人として国家との関係を結ぶことを求められるようになったという変化を描くということで、実のところ「明治維新」よりもラディカルな社会革命を描いたものだと思う。 一番興味深いと感じた議論は、村役人という近世村のリーダーたちが「村」をめぐる負担−「村」単位で税金を納め村請制のような制度−に耐えかねる中で従

    境界を設定すること - sunaharayのブログ
    morutan
    morutan 2013/12/15
    明治期の「村→個人」時のアイデンティティや税や負担の感覚、公共負担の範囲をこれから先どのように設定するかについて、「自治の範囲を設定し直す」か「既存の範囲内で自治を活性化する」か
  • 「フランス革命の背景と第三身分(平民)の興隆」あたりについてのよもやま噺

    m_um_u @m_um_u フランス革命の遠因 http://t.co/ZMeaOQgm 社団国家てのは絶対王政のことで、既存の第二身分に対して第三身分が2.5身分みたいな感じになっていったのはジェントリ→ジェントルマンの形成と同じで問題はなかったと思うんだけど http://t.co/oo2yFjrP

    「フランス革命の背景と第三身分(平民)の興隆」あたりについてのよもやま噺
    morutan
    morutan 2012/04/16
    「市民社会を標準化したのは啓蒙主義か、経済的自立か」あたりが今後の課題(<経済的自立が啓蒙主義の肉付けとなっていった(啓蒙主義は経済的自立の上に成り立つテンプレートだった)>が今のところの推論)
  • morutanのブックマーク / 2011年1月28日 - はてなブックマーク

    毎回、担当ディレクターが取材内容をもとに執筆、番組内容を再現。 記事の後半では、元社会部記者で「週刊こどもニュース」のお父さん役も務めた番組キャスターの鎌田靖解説委員が、「キャスター日記」として取材を振り返りながら総括する。 ◎番組ホームページは、こちら 追跡!AtoZ ~いま一番知りたいテーマを追う!超リアルドキュメント 政治から犯罪、社会問題まで、読者がいま一番知りたい話題を徹底追跡。その背景に迫ることで、時代を読み解いていく。NHKで放送中の同名ドキュメンタリー番組をウェブ用に再構成してお届けします。 バックナンバー一覧 閑静な住宅地として人気の高い東京都・杉並区。追跡チームは、近所から苦情が出ている空き家があると聞き訪ねた。すると、ドアにツタが絡まり、ドアノブが見えないほど荒れ放題になっている空き家が放置されていた。敷地は60坪。管理されている様子も人が住んでいる様子もない。

    morutan
    morutan 2011/01/28
    社会契約にも2種類あってロック的な双務契約的なものと、ルソー的な全体を投げ出す代わりに囚人のジレンマなくすみたいなのがあるみたい。ルソーが後者をとった経緯と当時のキリスト教信仰の温度がわかるとおもろそ
  • [書評]いまこそルソーを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ

    ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)については、翻訳だが私もそれなりに主要原典を読んできた。カントのように「エミール」(参照上巻・参照中巻・参照下巻)には一種の衝撃も受けた。これは難しい書物ではない。先入観なしに誰でも読むことができる。長編の割に読みやすく、おそらく読んだ人誰もが人生観に影響を受けるだろう。特に娘をもった父親には影響が大だろう。他、「告白」(参照上巻・参照中巻・参照下巻)は、ツイッターで元夫の不倫をばらすような近代人の猥雑さが堪能できる奇書でもある。 そして、と紹介していくのもなんだが、私はこうしたルソー人への関心と、政治哲学の基礎文献でもある「人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)」(参照)や「社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)」(参照)などの理解とは旨く像が結びつかない。前者の人文学者としてのルソーへの共感と、後者の

    morutan
    morutan 2011/01/28
    「透明な神」として「一般意志→国家幻想」を本気で設定したっぽい狂気。全体主義へ陥らないようにするための担保は徹底的な討議といえるが日本の実質は契約以前の天皇に依る市民宗教という擬制という逆説であったと
  • 筑摩書房 鶴見俊輔集 4 転向研究 ─転向研究 / 鶴見 俊輔 著

  • 僕は大衆を - finalventの日記

    「あたまが悪い」とは思わないのな。 日経済がこのままおバカな選択でまた沈んでいくとしても、それが国民の選択で、合意のプロセスでできたのならしかたないじゃん、って思う。 人生も、と、議論が飛躍するけど。 間違った選択してそれで悔いるというのは、それ自体をマクロ的に見れば、いいんじゃないのと思う。 話がさらに飛躍すると。 国家というのは、一部のあたまのいい人がどんなに優れた政策をやっても、どうしようもないものとして現れているというか、質的な矛盾を持っているというか、矛盾を質としていると思うのだよね。 で、中国とか、ヘッドクオーターに日人の政策担当より優れた人がいると思うのですよ。でも、ダメだろうと思う。 国民がその歴史のなかで、うーん、ほいじゃ、国民としてやっていきますかぁ、みたいな合意がないと国家というのは動かないと思う。 そのために、日の近代史を顧みると、よく生き延びたなあと思う

    僕は大衆を - finalventの日記
    morutan
    morutan 2008/08/14
    『国民がその歴史のなかで、うーん、ほいじゃ、国民としてやっていきますかぁ、みたいな合意がないと国家というのは動かないと思う。』 | アフリカとか
  • ベネズエラ国民の選択に賛意を表したい: 極東ブログ

    よかった。ベネズエラでの大統領無期限再選を可能にする憲法改正案が国民投票で否決されたことだ。結果は僅差だった。憲法改正支持者も多数であり、その人たちの考えも単純に否定できるものでもないし、今回の改正が直接、チャベス大統領の独裁制につながるというわけでもない。だが、その傾向への懸念はあった。 民主主義というのは手順によっては独裁者を生み出しかねない。憲法というのはそうした強い権力への最終的な歯止めとして存在する。今回の事態は、憲法のそういう質が揺るがされる可能性(公益が個人の利益に優越し公益認定で国家に接収が容易となる、報道の自由が優先されなくなるなど)がある例となって困ると不安な気持ちで見ていた。 ブログには書かなかったが、私は冷静に見れば、今回のベネズエラ国民投票は改正案可決に向かうのではないかという予想を立てていた。今朝の産経新聞”国民投票締め切り、大接戦に ベネズエラ憲法改正”(参

  • http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-345.html

  • 原武史『滝山コミューン一九七四』 - uumin3の日記

    前評判の時からちょっと触れていたこのを、夕べ読み始めて昼過ぎに読み終えました。今とは全く異なった時代感覚の中をふらふらした気分です。またある程度の懐かしさと同時に、集団と個人の問題の重苦しさにあてられ続けた感もあります…。 話を、あさっての方向から始めてみたいと思います。つい最近話題になっていたあるブロガーの問題に関してそれなりに興味を持って追っていた私は、nitinoさん@うどんこ天気の「愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ」にたどり着きました。そこでまず掲げられた図に思ったのは、「何でここに全体主義?」という疑問でした。 nitinoさんが描かれたのは、あるブロガーの行為についてそれぞれどう関わるか・どう思うかのスタンスを、政治的立場チェックの表のように二つの軸を使って座標平面上でわかりやすく見せようとした図です。縦軸が「罵倒表現への判断軸」となっていて、

    原武史『滝山コミューン一九七四』 - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/07/11
    全体主義、ナチズムという言葉への脊髄アレルギーがあるのでしょうね。(まぁ、ナチのほうはびみょーなのでファッショとかうんぬん) 対象を「絶対悪」としてしまうことによる思考停止問題
  • 人間はアイドルを求めてしまうものらしい

    ユーザー参加型メディアは、誰にも平等に機会を与える民主的な場になる、と思われていたが、結果的には「普通のヒト」の中から「セレブ」が誕生してしまう、、、という話。 例1:ThreadlessでリアルTシャツデザイン 今日のNew York Times MagazineのMass Appealで紹介されていたThreadless.comというTシャツ販売サイト。 このサイトでは、ユーザーからデザインを公募し、その中からユーザー投票で選ばれたものを製品にして売っている。一日125件ある応募から、数十万人のユーザー投票により毎週5-6枚が製品化。1デザイン1500枚の限定販売。デザインが選ばれると2000ドルもらえる。 で、こうした公平なシステムだと、常に新しいデザイナーが続々と登場し続けるかというと、アニハカランや、固定ファンが付く「スター」が誕生してしまう、と。これまでに17回デザインが選ばれ

    人間はアイドルを求めてしまうものらしい
    morutan
    morutan 2007/07/10
    民主的にしてると画一化に傾いてしまうワナ。それを抑えるために、一部の識者による指揮(あるいはインフルエンス)が必要、と。
  • 一般大衆と理想の落差を感じたらそれをネタにすればいい - アンカテ

    muse-A-muse 2nd: ウェブ社会の民主主義:スケールフリーなネット社会に対応する設計とは? muse-A-muse 2nd さんは、こういうふうにウェブの社会的な側面について、幅広いソースを参照してゆるやかにまとめた記事をよく書かれているので、時々、参考にさせていただいているのですが、その中にこんなつぶやきが ぼくも基的な理想としてはessaさんと立場を同じくするんだけど、この違和感はなんなんだろう...。 私はネット上の民主主義の発展について、かなり楽観的です。そこには違和感を感じている人も多いと思います。 それは、ネット上の「一般大衆」や「集団知」が常に正しいと思っているからではありません。ネットの中で起こっている事態と自分の考えや理想がズレていると感じることは、私にもよくあります。 おそらく、その「違和感」の理由は、ズレを感じた時に、私は「これはブログのネタになる」と考

    一般大衆と理想の落差を感じたらそれをネタにすればいい - アンカテ
    morutan
    morutan 2007/07/05
    <大衆的な志向と元ネタのギャップがあればあるほど良いネタになる>とのこと。その理由付けについては再考させてもらうとして、essaさんにはCGM的なものの可能性を論考していただきたかったので良かったです
  • Apemanさんの当て逃げ事件に関するご見解への疑問 | bewaad institute@kasumigaseki

    Archives Archives(before the end of Feb 2007) archives of BI@K Topical Index Search bewaad institute@kasumigaseki is proudly powered by WordPress Entries (Atom) and Comments (RSS). All original content copyright © 2003 and beyond by bewaad institute@kasumigaseki, all rights reserved. Zen Ninja template originally designed by Joni Mueller and Ivan Minic for Pixelita Designs, and modi

    morutan
    morutan 2007/06/29
    ネットによる私刑(ネットスクラム / イナゴアクセス)の是非について。 http://bewaad.com/2007/06/29/186/
  • 雑種路線でいこう - Youtubeと地上波が逆転した日

    Winnyが指弾された時,P2Pから新しいインディーズ歌手が台頭すれば偏見が払拭されるのではないかと期待した.けどそうはならなかった.一方でネット動画は思ったより早くジャーナリズムとして定着しそうだ. 当て逃げした自動車の持ち主が解雇された事件は,Youtubeに動画が掲載されてから2ヶ月,ネットで盛り上がってから2週間遅れの今日からTVニュースが一斉に報じた.これほどYoutubeの同じ動画が繰り返し放送されたのは日では初めてではないか.mixiでの個人特定とか,過去の言動に対する検証も定着してきたし.遠からず一次情報はネットで,テレビって二次情報ばかりだよねー,とかいわれる時代が来るかも知れない.活字の世界では数年前から2chをネタ元に使うことが一般化していたが. ところで車の持ち主が犯人かどうかは分からないけど,今回の件では器物損壊で被害者が届け出ても,速やかに被害届を受け取らず,

    雑種路線でいこう - Youtubeと地上波が逆転した日
  • FC2Blog - 404 Error

    morutan
    morutan 2007/06/27
    70年代日教組の影響。共産主義にして全体主義
  • 梶ピエールの備忘録。 - 鈴木謙介氏のウェブ民主主義論

    ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス) 作者: 鈴木謙介出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2007/05/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 8人 クリック: 111回この商品を含むブログ (132件) を見る 鈴木謙介さんのグローバリゼーション論『“反転”するグローバリゼーション』は出てほどなくして買ったのだが、なんとなくピンと来なかったのでそのまま積読になっている。先日、日経新聞に中島岳志さんによるこの書評が載っていたのだが、これを読んでも依然としてピンと来ないままだ。いずれまたちゃんと読んで「なぜピンと来なかったか」ということについて考えてみましょう。 しかし、ほぼ同時に出た『ウェブ社会の思想』の方は面白く読んだ。たとえば、一口に「電子媒体によるコミュニケーション」といっても、それは携帯でメールを送りあうような関係にみられる「過剰な期待

    梶ピエールの備忘録。 - 鈴木謙介氏のウェブ民主主義論
    morutan
    morutan 2007/06/27
    ネットの民主主義を積極的にとらえるか消極的にとらえるかによってアーキテクチャ設計が変わってくる、と。
  • レッシグの「これからの10年」 - 池田信夫 blog

    レッシグが、知的財産権の問題から「チャンネルを変える」と宣言して、話題になっている。私も、彼の気分はわからないでもない。彼を2001年に日に初めてまねいたのは私だが、それ以来、彼との会話はいつも同じ暗い話ばかりで、状況は悪くなる一方。こんなことをやっていたら学者として終わってしまう、という彼の焦りもわかる。 しかし彼が「腐敗」を新しいテーマにするというのはいただけない。それは民主主義にとって質的な問題ではないからだ。この種の問題については、経済学で既存の研究がたくさんあるが、その代表であるGrossman-Helpmanの分析によれば、根的な問題は「1人1票」という普通選挙制度にある。私の1票が選挙結果に影響を与える確率は(田舎の村長選挙でもないかぎり)ゼロだが、投票に行くコストは私が負担するので、投票は非合理的な行動なのである。 したがって政治に影響を与えようとする人々にとって

    morutan
    morutan 2007/06/27
    一票の格差というか、「ロビー活動のほうが効果あるよ」な民主主義の欠陥について。