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ブックマーク / kurahashi.hatenadiary.org (1)

  • 吉田健一の時間 - 存在の軽やかな肯定に向かって

    吉田健一は、現代の哲学者としてベルクソン、プルーストを好み、18世紀英国 においては、ヒュームを哲学的に好みました。彼にとって、19世紀は、『ヨォ ロッパの世紀末』にかかれているように(この引越ししたときにどこかに 行って手元にないのはとても残念なのだが)、黄昏の時代であり、人間ではな く、観念に囚われてしまった時代だとして、吉田健一に批判されるのです。 確かに、19世紀は、哲学としてはドイツ観念論の時代でありますし、詩も純 粋詩などが生まれたりして、観念化されたともいえます。端的に、芸術は「芸 術のための芸術」として観念的に理解されたのです。そして、貧困という緊急 の課題が登場したのが、この時代でもあります。ヘーゲルが「芸術の過去」性 を主張し、結果として「芸術の終焉」を語ったのは、反省的な知性ならば、芸 術などという趣味に拘ることは普遍的な精神の営みではもはやないという認識 があっ

    吉田健一の時間 - 存在の軽やかな肯定に向かって
    morutan
    morutan 2013/12/11
    『吉田健一は、現代の哲学者としてベルクソン、プルーストを好み、18世紀英国 においては、ヒュームを哲学的に好みました』
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