シネクイントにて「(500)日のサマー」を鑑賞。 前評判がどこを切り取っても「サマーの視点が語られない」「サマーは『わかりづらい対象』として描かれる」みたいな感じだったので、共感は期待せずに行ったのですが、全然わかりづらくねえじゃん。 非常にロマンティストで優柔不断なトムと、可愛いルックスに反して現実的で個性派女子なサマーの出会いと別れ、再会までを描いた作品なのですが、もうトムが!地雷を!これでもかと踏みまくる展開なわけで。その「地雷の踏み方」がまた巧妙というか、あさりの味噌汁食べてたら砂噛んでジャリッ!みたいな瞬間が多数あるわけなのです。「私あなたにそんなこと言ってほしくないわ」と喰ってかかられても仕方ないレベルで。その第一段階はサマーの部屋で、彼女の自分語りに対してなされるのですが、あの瞬間私は心にシャッターが降りるがしゃんという音を聞いた気がした。あれはないわ。あと、個人的に傷ついた
37 500日のサマー 深夜にさ、突然過去のトラウマや未熟だった自分の消したい記憶が去来してきて「うあああああ!!」って叫んじゃうことってあるじゃないか。あるよね?ないやつは今すぐ立ち去れ!! この映画を見てる間、4回くらいそうなった。そういう映画。友人と一緒に行ったから鑑賞後にすぐ席を立てたけど、一人だったら席にどっぷり沈んで、自嘲の笑みを軽く浮かべながら頭抱えちゃったかもしれない。 そしてこの映画は、カラオケでピクシーズとか歌っちゃうことの意味を分かって苦笑してしまう人や、主人公が子供の頃にジョイ・ディヴィジョンの「Unknown Pleasures」のTシャツ着てて、大人になってもまだ着てやがる!ってことに気づいた人や、子供の頃の壁にサイコ・キャンディのジャケが貼られてるのに気付く人や、ベルセバの歌詞の引用をする女の子にグッサリ来る人とか、そういう人たちのためだけの映画。そしてそうい
『(500)日のサマー』をもっと楽しむための覚え書き2(映画を観た人向け)。 そういえば一昨日の記事に書き忘れたけど、トムってサマーに「僕達の関係をはっきりさせてくれよ!」とか言うわりには、「今の良い関係を壊したくないから」とか自分の中で勝手にエクスキューズを作って、けっきょくサマーに対しては一度も「I love you」とは言ってないんだよね。あくまでもトムの1人称視点で描かれるから強調されていないけど、トムが他力本願なところ/自分の願望をサマーに押し付けているだけなところは幾つもあるし、それと同様にサマーの気持ちを推しはかるヒントは劇中に幾つも転がっているわけで、再見される方はそこらへんに注目してみるといいかも。 ってなわけで今日の本題は、サマーとトムの音楽的趣向のズレについて。 トムはサマーに惹かれ、「自分の運命の人ならば、高校の卒業アルバムにベル&セバスチャンの歌詞を引用するような
『(500)日のサマー』をもっと楽しむための覚え書き(映画を観た人向け)。 ついに『(500)日のサマー』が公開されたわけだけど、ひとつ気になっているのが、試写で観た人達のレビューでサマーを「小悪魔」だとか「気まぐれ」だとか言っているものがかなり散見されたこと。おいらが本作の公式ブログに寄せたコラム『夢の人』でも書いたことだけど、サマーはトムに「真剣な関係を望んでいるわけではない」ということを早々に伝えていることからも分かるように、その姿勢/態度は一貫してものすごくフェアなんだよね。それと、冒頭の白黒映像の「サマー効果」のシーンは監督も言ってるけど(公式サイトの「Special」コーナーのインタビューを観るよろし)、「トムが勝手にそういう風に考えている」ってだけで事実無根だからな(つまり「自分がこれだけ惹かれるんだから、昔から誰もがサマーに恋い焦がれてきたはずだ!」と)。「サマーはモテモテ
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