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議論に関するmosshmのブックマーク (79)

  • ライトノベルを擁護するのはなぜか? - 主ラノ^0^/ ライトノベル専門情報サイト

    なぜライトノベルが馬鹿にされるのか? なぜライトノベルは擁護されているのか? 先々週あたりにもう語り尽くされたと思われた「ラノベ馬鹿話題」に関する記事があがってきている。この話題何ヶ月引っ張るつもりだよ。 さすがに言いたいことは大体前回の記事で言及し終えたのでスルーを決め込もうと思っていたのだが、なんでも突っ込みに対して突っ込み返してくれるらしい。 「なぜライトノベルが馬鹿にされるのか?」についての突っ込みにたいして突っ込み返す放送 - 2015/02/14 22:00開始 - ニコニコ生放送 せっかく突っ込み返してくれるなら、いらぬ突っ込みでもいれてみましょうか。 実際ヲタクコンテンツの中でも屈指の叩きづらさを誇るのが小説を媒体とする作品だと思います. なんでかというと,他の形態と比べて,内容を楽しむには個人の教養やら知識やら想像力やらがモロにフル動員されるからです. 小説以外のコンテン

    ライトノベルを擁護するのはなぜか? - 主ラノ^0^/ ライトノベル専門情報サイト
  • なぜライトノベルが馬鹿にされるのか? なぜライトノベルは擁護されているのか? - ○リココインフォ

    俄に盛り上がる界隈での何故ライトノベルがバカにされるのか?問題にありとあらゆる武器で切り込むラノベクラスタたち. 私も尻馬に乗ってどの記事にもリンクを送らずに好き勝手エントリ書きますが,とりあえず色々思い出したものをひとつ. ■そもそも小説(の形態をとっているエンターテイメント)を正当に馬鹿にするコト自体の難易度は高い 実際ヲタクコンテンツの中でも屈指の叩きづらさを誇るのが小説を媒体とする作品だと思います. なんでかというと,他の形態と比べて,内容を楽しむには個人の教養やら知識やら想像力やらがモロにフル動員されるからです. わかりやすく図にすると以下のようになります 小説には独特な「行間を読む」という作業が発生し,結果的に大なり小なりの色々な”解釈”を生みます. なのでその構造上,同じ小説に対して叩いている人と擁護する人が同時に発生すること自体は実は当たり前なのです. 先ほど叩く難易度が高

    なぜライトノベルが馬鹿にされるのか? なぜライトノベルは擁護されているのか? - ○リココインフォ
  • 間違った「論」には意味がある - レジデント初期研修用資料

    勉強は大切だけれど、正しい知識だけを積むのは危ない。 武道を学ぶ際には、受け身の学習が欠かせない。正しい知識を学ぶときにも、正しくない知識の受け止めかたを知らないと、学ぶほどに大けがをする可能性が増えていく。 正しいことと説得できること 正しい知識を積んだ専門家が、ある日いきなり新興宗教に目覚めたりすることがある。そういう人は、学んだ経験こそ莫大だけれど、説得された経験を積んでこなかったのだろうと思う。 それが正しいことと、それが誰かを説得する力を持っていることとは、しばしばなんの関係もない。間違った知識に基づいた論理にたくさんの人が説得されることは珍しくないし、正しい知識を持っていることは、そうした説得から身を守るのに必ずしも役立たない。 正しい知識や、あるいは「努力」を積み重ねてきた人が、説得可能性が高い何かに初めて触れるときが危ない。こういう人は、積んできたものが大きくて、説得される

  • 批判・反論は意外と難しいという話 - suVeneのアレ

    この辺の話を考えてると、どうも ♂ の人と同じようなタイトルになってしまうのだけれどもわざとではない。 まぁ批判と罵倒(悪口)を勘違いしているという話は別に置いとくとして、内容について反論しようとしても個人的によく犯す間違いがあって、批判・反論というのはなかなか難しいという話を書いてみよう。 * 「○○は××である」という内容に、「△△も××だ!」という反論 これは犯しやすい間違いである。 例えば 「女はわがままである」とか、「mixiのコミュはムラ社会である」という主張に対して、「男もわがままである」とか、「ブログもムラ社会である」という反論はとても的外れだ。 (元の主張が「女だけが」とか「mixiとブログを比べてmixiだけが」と言っている場合を除く) 何故的外れかというと、元の記事の著者は“女”あるいは“mixiのコミュ”に対して言及しているのであり、それ以外の場合については特に言及

  • 「勝ち負け」で計るようなものをそもそも議論と呼ぶのだろうか。: 不倒城

    あんまりまとまってない。メモ的に。 議論というものはそもそも何なのかというと、何らかのテーマに関して知見を出し合って、そのテーマに沿った新たな結論・アイディア・あるいは新たな問題提起を導出する為に行うものだと思う。少なくとも私はそう思う。 然るに、議論における「勝ち負け」とは一体なんなのだろう。お互いが何らかの違う目的をもって、要するに相手に言うこと聞かせてやろうとして諤々やり合うのならそれは説得合戦であって議論ではないし、どちらかの意見が明らかに正しくてもう片方は単に分かってないだけならそれは教育と呼ぶべきだし、自分の意見は絶対正しい、改良の余地はないと確信しているならそもそも議論をする意味はない。 議論とは「自分の意見」「相手の意見」それぞれの不備、足りない点を検証する為のものだ。もしも自分の考えの不備を指摘され、それを受け入れることが「負け」だとするなら、極論すれば、議論というものは

  • 言及に対して反応しない→「逃げた」/反応する→「粘着キモイ」メソッド - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

    どのような選択をしようと対象に否定的な評価をするという結論は決まっているメソッド。 非常に属人的なメソッドで、別の立場の人の場合、言及に対して反応しない→「賢明な判断」/反応する→「勇敢」というように対象に肯定的な評価をするという結論が決まっている場合もある。 そのようなダブルスタンダードから評価する方の党派性があぶりだされる、まさに諸刃の剣。

    言及に対して反応しない→「逃げた」/反応する→「粘着キモイ」メソッド - 模型とかキャラ弁とか歴史とか
  • 議論についてのささやかな議論

    まわた @mawhata 議論って、論の勝ち負けを競うものじゃなく、各自の論や視点をつき合わせて色々と検討してみる事で、それぞれが自分だけじゃ辿りつけないところまで論を高めようとする行為だと思うんだけど、日人の傾向か、異論すなわち人格否定や相手の攻撃みたいに受け取る人も多い気がする。困るよなァ。 まわた @mawhata ネットみたく匿名性の高い場所でも、同意以外の反応にナーバスな人が驚くほど多いような気がする。違う意見って参考になる場合もあるのにな。あと異論反論を恐れて(あとtwitterならリムーブを恐れて)発言を控えるのも何か勿体ないなぁと思う。見苦しい発言を控えるとかは当然の気遣いだけど。

    議論についてのささやかな議論
  • twitterで「有名人」に喧嘩売るとき心得ておきたい六つのテクニック

    IKKOさんにはじまって(?)、DEDE MOUSEやエイプリルズ、小川一水に汀こるもの、はてはガチャピンさんやあとなんか広瀬なんたらいう人まで参入してきて何かと賑やかなtwitter。つぶやきアーティストであるところの君たちも、バイタリティ溢れる有名人さんたちから日々素晴らしいインスピレーションを得ているんじゃないかな? なんだかんだ言っても、やはりリアルでマグネフィセントな実績を残してる人たちの言葉の重みは違うよね! だから、私たちみたいな凡人が彼らをオピニオン・リーダー視するのは自然なことだと思う。 でも、もちろん津d……広瀬さんたちだって常に正しいことを言ってるわけじゃない。人間は間違いを犯す生き物だ。それはいい。しかし、だ。有名人の皆さんの言葉というのは重みが違う! 被観測範囲が違う! ひいては社会的影響力が違う! よね? まさにベンはケンよりもツヨシってやつさ。 我々には彼ら個

    twitterで「有名人」に喧嘩売るとき心得ておきたい六つのテクニック
  • 連絡先を記載することにしなもん - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー

    1. はてなブックマークのコメントに反論したい。 2. ブログに引用でもして、反論を書き綴れば、イイんぢゃね? 3. ブクマカが気がつかないかもしれないから、やだ。反論出来るようにシステムを改修しろ。 という要望が多いので、ブクマカの連絡先を表記させていただくことにしました。はてなブックマーク利用者の方は、ブックマークを公開する場合、連絡先として、専用掲示板、メールアドレス、電話番号のいずれかをお選びください。いずれもお選びいただけない場合、ブックマークは非公開となりますので、ご注意ください。どうぞご利用ください。 ぢゃ、俺、電話番号。 ていうか、反論は「はてな」が預かって、ユーザに届ければいいいのか。ていうか、それぢゃ嫌なんだろな。公開で反論してるってのが、皆に見えて、ブクマカにも伝わってて、ほんで顔真っ赤にして言い返しに来てくれなくちゃ、満足しないんだろうな。華麗にスルーされちゃうよう

    連絡先を記載することにしなもん - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー
  • はてなブックマークへの反論のコストみたいな話 - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー

    公開言論に対する反論をドコで行ったら、反論したい人が満足するのか問題について、他。 公開されている言論への反論・批判は、公開されている言論にて行われればよい はてブでネガコメ(広義でいいよ)されたら、自ブログで引用(URIなんて気にしなくてイイと思う、一覧ページのid誰某とか書けばイイ)して、反論なり批判すれば、それでコトは済むという考え方。池田先生が、よくやってますよね。必ず、自分の土俵で戦ってます。池田先生をdisったら、コメ欄に突撃されました、という人が居たら連絡ください。 もちろん、彼は、自分の土俵で戦うだけでなく、名誉毀損や酷い誹謗中傷と思われるモノに対しては、その他の手段も行使します。ひどいネガコメ(狭義)に対しては、運営者に対し、そういう意思表示もしてます。ただ、決して自分を同じレベルに落としての対応はしないようで、そのへんはヨイ戦い方なんぢゃないかなと思ってます。 いやいや

    はてなブックマークへの反論のコストみたいな話 - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー
  • 「FriendFeedで反論してもなぁ」 → 「Tumblrで反論してもなぁ」:ekken

    まだまだ続く、はてブネガコメ排除キャンペーン2009年5月の陣関連。 当初の論点「アホなコメントに投票して、多数決で表示させないようにしたい!」から、「はてなブックマークには反論できないから不公平だッ!」と議題に移行か。 まぁはてブのネガコメイクナイ論争では、毎回この終着点に行き着いているので、2009年5月の陣はそろそろ終焉の予感。 誰も書かないからもう書くけど、実はFriendFeedにソーシャルブックマークのRSSを取り込むと、1-click反論できたりするんだよね。 「はてなブックマークさん」という人間は存在しない - インターネットください に寄せられたotsuneさんの上記ブックマークコメントに対してなされた津田さんの言及が下記。 FriendFeedで反論してもなあ。otsuneさんは反論する場所より反論できる事実の方が優先順位高いってことなのかな。反論の敷居議論でこの前思っ

  • はてブは「1 対 多」で、ブログのコメント欄は「1 対 1」という思い込み:ekken

    しつこく「はてブネガコメ排除キャンペーン・2009年5月の陣」関連。 はてなブックマークのコメントに対する反論は「1 対 多」(だからイクナイ)で、ブログのコメント欄で行われる反論は「1 対 1」(だから公平)というのは明らかに思い込みだよね。 はてなブックマークに対する反論は「1 対 多」じゃないよ タナカ君(仮名)が書いたブログの記事に寄せられたブックマークコメント、これが全てタナカ君に対する批判や罵倒というケースは非常に少ないと思う。これらの批判的言及に対して、タナカ君が理論的に反論を行い、そしてそれがオーディエンスに正当な意見と認められれば、立場は逆転できるはずです。 そういう状況があまり見られないのは、タナカ君の「批判的はてなブックマーカーは徒党を組んで俺への嫌がらせ的言及を行っている」というような被害妄想的な思い込みが強いからじゃないかなぁ。 もっとも。 被害妄想的な思い込みが

  • NGワード「常識ですよ」

    ある人(仮にヤマダ君とする)の言動について、それを批判する際に、その批判理由として「ヤマダの意見は非常識だ」とか「常識的にこうだから」「社会的通念として~」と言い出す人を見かけるのだけど、アレは非常に良くない。 「常識」というのは、かなり多くの場合、それを持ち出す人の価値観によって決められている。それ故、価値観の異なる相手には「常識だから」だけの理由では納得できない物だ。 「常識」を持ち出して自分の意見が多数派である事を装う戦略なのかもしれないが、それがヤマダ君の考える「常識」と相反する物の場合、「常識的にこうだから」を連呼しても何の説得力も持たない。最低限、自分が考える「常識」を通すことで、より多くの人にとってハッピーな結果をもたらすことを説明すべきだ。 価値観に依存しないこと、例えば法に明記されているとか、数式の結果のような覆すことが困難な根拠を元に「常識」を持ち出すのは例外として、そ

  • はてなブックマークと議論のハナシ:ekken

    はてなブックマークは「最も優れた議論の場所」とは思わないけれど、かなり優れた議論の補助ツールだと思う。 ブコメはよく、公平な意見が述べられる場所と言われます。なるほどしかし、ボクはブコメ自体がそもそも公平だと思っていません。なぜならば、ブコメにはそのコメントに対して反論する場所が用意されていないからです。ブログのコメント欄にも2chにも小町にも、議論の場所は用意されています。でも、ブコメにはそれがありません。だからブコメ利用者は意見を言いっぱなしなわけです。 BABYPEENATSさんの主張は、ネット上の議論が「あるひとつの場」で行われていることを前提としている事が間違いではないかと思った。 なるほど、確かに「はてなブックマーク」を議論のメイン会場として利用するのは、あまり効率的とは言い難い。一人一回、100字制限の中では意見交換が成り立たないし、コメントを書き換えてしまうと、後からその意

  • ローカルルール、規約、法 - 妄想科學倶樂部

    mixiコミュでまたトピごと抹消された。 この某コミュは管理者が「一切の議論を認めない」という姿勢で運用しており、参加者は誰かの発言に意見することを許されず、従って賛同の言葉だけが並んでいる。 今回も、トピ主の趣旨と異なる意見が出て有意義な議論が交され初めた所での、唐突な削除であった。事前に警告もなければ荒れた言葉使いなどの問題発言の削除でもない、「トピ主の意見と異なる書き込みがあったため」というとんでもない理由でのトピ全体削除。 あまりにあまりなので管理トピにて苦情申し立てたが「ここに管理者以外が書いてはならない」と書き込み削除。さすればどこに意見すれば良いというのか。人に直接メッセージを送ってみたが返事はない。 ところでmixiの規約上、各自の発言は各自の責任下に於いて行なわれ、その権利も義務も発言者に帰属している。そして文章には著作権/著作者人格権があり、軽々に改変/削除を行なうべ

    ローカルルール、規約、法 - 妄想科學倶樂部
  • 例:「固定幅と可変幅のどちらがより適切なウェブデザインか」という議論をしている場合

    例:「固定幅と可変幅のどちらがより適切なウェブデザインか」という議論をしている場合 あなたが「可変幅は固定幅よりも優れている」っ言ったのに対して否定論者が… 事実に対して仮定を持ち出す 「可変幅は横スクロールが発生しないが、もし横スクロールが発生する可変幅なデザインがあったらどうだろうか?」ごくまれな反例をとりあげる 「だが、ユーザーCSSを使い全て固定幅で閲覧している人もいる」自分に有利な将来像を予想する 「何年か後、横スクロールバーが存在するという保証は誰にもできない」主観で決め付ける 「閲覧者自身が可変幅であることを望むわけがない」資料を示さず持論が支持されていると思わせる 「世界では、可変幅は横に広がって見難いという見方が一般的だ」一見、関係がありそうで関係のない話を始める 「ところで、Jintrickがアニメキャラのファンサイトを運営していたのを知っているか?」陰謀であると力説す

    例:「固定幅と可変幅のどちらがより適切なウェブデザインか」という議論をしている場合
    mosshm
    mosshm 2009/01/24
    実際にありそう。
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    27年ぶりのYUKIライブ 2024/8/11。僕は埼玉の戸田市文化会館で行われた”YUKI concert tour “SUPER SLITS” 2024”に参加した。前にYUKIの歌声を聴いたのは1997/05/27の代々木第一体育館。実に27年の歳月が経ってしまった。 なぜそんなに間が空いたのか。なぜ、それでも参加しようと思ったのか…

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    2024.8.23東北遠征登山〜蔵王 昨年の月山遠征登山に引き続き、今年も不穏な天気を逃れてやって来たのはこちら。 蔵王は、その名前の山はなく、付近の総称であり、山形側、宮城側などいくつもアプローチが出来てさらにリフトなども充実、おまけに山頂付近までは車でもアクセス可能という観光地である…

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  • ネットでの議論は成り立つわけが無い

    ネットでよく議論を見かけるし、自分でもそれらしい事やってた。 だけど、一つ勘違いをしていた。どんな相手とも話せばわかりあえると思っていたのだ。 しかし、そうじゃない。ネットでの議論が噛みあうと思っていたのは幻想だって最近気づいた。 大体、ほとんど身分も明かしていない相手と、立ち位置がどれほど違うかわからない。 議論をどこに向かわせようとしているのか、その議論で何を得ようとしているのかわからない。 その状態でいろんな人が集まって、議論がかみ合う方が、むしろおかしい。 立ち位置が100%わかっている自分の家族や上司や同僚すら議論でねじ伏せる事が出来ないのに、全然知らない人を議論でねじ伏せる事なんて出来るわけが無い。 議論して、相手から新たな視点や見識が得られたりすれば、それはそれだけで十分有意義な議論だと今は思う。 相手を論理で押さえ込んだり、論破しようとするのは、傲慢だし、そして何より徒労に

    ネットでの議論は成り立つわけが無い
    mosshm
    mosshm 2008/11/12
    ねじ伏せてどうする。
  • 誤読をされないために:ekken

    最近「誤解」に関する話をいくつか読んだので、僕なりに誤読をされないために大事なことをまとめてみました。 誤読を避ける5つの工夫 主旨は簡潔に。悪戯に長い文章は避ける 短ければ良いというものでもないけれど、闇雲に長くかったり修飾語を多用した文章は、その主旨を不鮮明にすると思う。場合によっては強調タグで括るなど、大事な部分を目立たせる工夫も必要。 オレオレ用語を使わない 仲間内だけで通じる言葉や、自分で考えた独自のフレーズを使った文章は、その意味を理解できる人にとっては面白い物となり得るけれど、何の解説もなしに使いまわされるのは読者の突き放し。 どうしても使う必要がある場合は、注釈リンクなどがあると良い。 たとえ話は使わない たとえ話で理解が深まるのは、始めから自分の意見に賛同している人がほとんどで、反対意見の持ち主にはツッコミ所を増やすだけ。 絵文字・顔文字は控える 絵文字・顔文字は、その文