W杯の1試合には、普段では考えられないくらい濃密な時間が流れているのかもしれない。 開幕直前、岡田武史監督はコンセプトを根底からひっくり返し、残り1カ月を切った状況で、“突貫工事”を始めた。守備のやり方さえ直前まで定まらず、とてもワールドカップを戦うレベルにはないと思われた。だが、彼らは南アフリカの地で3試合を戦うと、驚くほどの急成長を遂げることに成功する。 6月24日、E組最終節のデンマーク戦――。 ルステンブルクのピッチに現れた日本代表は、その10日前にカメルーンと戦ったチームとは別人かのように、アグレッシブで勇敢な集団に生まれ変わっていた。 新たな布陣で臨んだ日本代表は、一気に混乱に陥った!! デンマーク戦の序盤は、相手のペースだった。 その原因のひとつは、この日、日本が新しいシステムを採用したことにあった。岡田監督はデンマーク相手に引き分け狙いの戦いをするのは危険と考え、これまでの
今回はワールドカップ(以下単に「W杯」と表記します)について書く。うむ。ちょっとフライング気味だが。たぶん、来週以降、サッカーならびにW杯については、にわかに報道量が増えることになるはずで、とすれば、埋没するのは面白くないし、できれば機先を制しておきたいので。 まず、結果について。 私は、3連敗すると思っている。 でも、特に問題視はしない。 仕方がなかったと、既に過去形でそう考えている。 というよりも、率直に言うなら、この度の3連敗について、私は、予測どころか、既に落胆を先取りにしている。よって、マトモに考えることができない。非常にがっかりしている。もう半年も前から。 3連敗予想の根拠を示せと言われるのであれば、「皆がそう思っているから」と答えておくことにする。 見回してみるに、戦前の段階で、ファンも協会もメディアも既にあきらめている。なにより、ほかならぬサムライブルーの面々自身が、0勝3
幸先よく先制した日本だったが、韓国に逆転を許し「ギロチンマッチ」に敗れてしまった【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】 「ギロチンマッチ」というのだそうだ、韓国のサポーターによれば。 「ギロチン」とは、言うまでもなくフランス革命の際に発明された、処刑を効率化するための「首切りマシン」のこと。要するに、この東アジア選手権の日韓戦に敗れたチームの監督は、多分に「クビを切られる」可能性がある、という意味らしい。 確かに日韓両国とも、現代表監督の地位が盤石かと問われれば、いささか心もとないと答えるしかないのが実情である。韓国のホ・ジョンム監督は、先の中国戦で歴史的は敗戦を喫し(何しろ1978年の初対戦以来、初めてのことだ)、その上、宿敵である日本に敗れたとなれば、もはや世論は許さないだろう。一方、日本の岡田武史監督は、昨年9月5日のオランダ戦以降、一度も敗れてはいないものの、ファンの不安
ピッチは庭、手本は兄 4年に1度のワールドカップ(W杯)イヤー。サッカー日本代表の中核を担うMF遠藤保仁(29)は、G大阪を元日の天皇杯連覇に導く最高の滑り出しを見せた。2006年ドイツ大会では代表に選ばれながら不出場。苦境を乗り越えた遠藤は、6月開幕の南アフリカ大会を目指し、立ち止まることなく歩み続ける。 毎朝、遠藤家の庭から子どもたちの歓声が響いた。遠藤と、7歳上の兄の拓哉、5歳上の彰弘、近所の子どもたちが加わり、ミニゲームで技を競うのだ。カバンやランドセルが近くに置かれ、通学の時刻になると、どっと飛び出した。 噴煙を上げる桜島のふもとに住む人々には、教育を重んじる伝統がある。ひとたび大噴火すれば、全財産を失う恐れがあるが、知恵や知識は残るからだ。 父、武義(62)は「子どもの好きなことを伸ばしてやりたい」と考えた。庭はいずれ日本庭園にするつもりだったが、息子たちがサッカーに興味を示す
鹿児島実で鍛えられ、昨季57試合に出場した遠藤(左)。日本代表ではW杯南アフリカ大会出場権を勝ち取った(2009年6月6日)=川口正峰撮影 サッカー日本代表のMF遠藤保仁(29)(G大阪)と2人の兄は、いずれも強豪・鹿児島実高(鹿児島)に進み、猛練習で鍛えられた。総監督を務める松沢隆司(69)の評が面白い。 ストライカーの長男、拓哉(36)は「ケガをしても隠すタイプ」。攻撃的MFを務めた次男、彰弘(34)は「黙々と頑張る」。三男のボランチ遠藤は? にやりと笑い「マイペース。休ませてくれ、と言うんだよ」。 2人の兄が鹿実に通っていた頃、松沢が自宅を訪ねると、兄たちの試合の録画ビデオを見る遠藤を目にした。「タク(拓哉)の点の取り方、アキ(彰弘)のDF裏へ抜ける動きを見て、好機を作る感覚が養われたのでは」と分析する。 入学後には、技術、戦術眼は教えることがないほど。ただ、闘争心を表に出さない。何
ジーコジャパンで代表に選ばれたが、W杯ドイツ大会で遠藤(左)の出番はなかった(右は本山、中央奥はジーコ監督、2006年2月の米国遠征で)=吉岡毅撮影 サッカー日本代表への道は思わぬ形で開かれた。 MF遠藤保仁(29)(G大阪)は1999年、20歳以下によるワールドユース選手権で準優勝した〈黄金世代〉の一員。だが、鹿児島実高(鹿児島)の頃、初めて選ばれたU―16(16歳以下)代表にほかの黄金世代の選手はいない。 96年冬、U―16代表を率いる石橋智之(54)(現愛媛・愛光学園教諭)が鹿実の練習に訪れた。南宇和(愛媛)の監督も務め、鹿実とは交流戦を行った間柄。「判断力がいい」と初めて出会ったボランチを気に入った。パスを散らしてリズムを変えられる。聞けば1年。それが遠藤だった。 この時のU―16代表は80年以降生まれが条件。MF小笠原満男(30)(鹿島)ら黄金世代の大半は79年生まれだが、遠藤は
スパイクのひもは、脱げない程度に緩く結ぶ。サッカー日本代表のMF遠藤保仁(29)(G大阪)はマイペースで、体内時計はゆっくりとしたリズムを刻んでいるようにすら思える。 2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会。一度もピッチに立てなかった屈辱は、MF中田英寿(当時ボルトン)ら欧州組の脇役に甘んじていた遠藤の心にもさすがに火を付けた。 大会後、J1・千葉を率いていたイビチャ・オシム(68)が代表監督に就任したのは幸運だった。G大阪との対戦を通して、遠藤の持つ試合をつくる能力を知っていたからだ。まず国内組だけで代表を編成すると、遠藤を中心に据え、もっと走ることを求めた。そうすれば技術が生きる、と。 実は、遠藤は究極のサッカーを「ダッシュしないこと」と言う。オシムの教えと矛盾するようだが、真意は効率よく動き、相手より有利な位置をとり続けることにある。オシムの「考えながら走るサッカー」を吸収し、水
バックナンバー 政府の「事業仕分け」だ。トップレベル選手の強化に当てる日本オリンピック委員会(JOC)への国庫補助金が、縮減対象となっている。仕分け人は「違う助成金が同じ助成先に重なり、お金がどう使われているのか不透明」「メダルが国民の望みなら税金投入も必要だが、メダルが取れそうもない競技になぜ補助しているのか」という考えらしい。 現在、スポーツへの助成金は3種類ある。一つがこの国庫補助金。年間約59億円のうち、約27億円が日本代表選手強化や国際大会への派遣費などに使われ、JOCの年間予算約86億5千万円の約3分の1を占める。残り二つは、国や民間が約300億円を出して作ったスポーツ振興基金と、サッカーくじ(toto)の収益金だ。スポーツ振興基金は競技団体ごとの強化事業や選手個人への助成、toto収益金は若手選手の発掘育成と、助成の目的が法律で決まっている。つまり、国庫補助金が減ると、ト
遠藤保仁の“凄み”とは何なのか? 天皇杯に和製シャビ・アロンソを見た! 佐藤俊 = 文 text by Shun Sato photograph by Toshiya Kondo 元日の天皇杯・決勝の名古屋戦は、まさに“ヤット・ショ-”とでもいうべき遠藤保仁の独り舞台だった。 ほんの3日前の準決勝・仙台戦では、淡々としたプレ-で、さほど存在感を示せたわけではなかった。だが、決勝戦は2ゴ-ル1アシスト、ル-カスの先制点も起点になるなど4点すべてに絡み、獅子奮迅の活躍で、ガンバ大阪を優勝に導いたのである。 「あんなすごいヤットを初めて見た」 そう唸ったのはGK松代直樹だが、この日の遠藤はチ-ムメイトにも見せたことがないほどの“本気”といくつもの“凄さ”を見せ付けた。 その凄さとは、いったい何だったのか。シャビ・アロンソの素早い攻守の切り替えを意識した遠藤。 この日、遠藤は、いつ
Jリーグの監督去就で考える、 “日本代表チーム”の立ち位置。 杉山茂樹 = 文 text by Shigeki Sugiyama photograph by AFLO (1)浦和 (2)G大阪 (3)鹿島 (4)横浜 (5)名古屋 (6)千葉 (7)清水 (8)FC東京 (9)磐田 (10)川崎F (11)大宮 (12)柏 (13)新潟 (14)京都 (15)広島 (16)大分 (17)神戸 (18)山形 これは、'09シーズンにJ1に所属した18チームの、'08年度の営業収益を順位化したものだ。'09シーズンの年間予算に等しいものだが、これと下に示す'09シーズンの成績とを比較してみると、一部例外はあるにせよ、それぞれの大まかな費用対効果が見えてくる。 (1)鹿島 (2)川崎F (3)G大阪 (4)広島 (5)FC東京 (6)浦和 (7)清水 (8)新潟 (9)名古屋 (10
中途半端なJリーグの現在 【西部謙司】2009年12月23日 先日、フェラン・ソリアーノ氏にインタビューする機会があった。昨年までバルセロナの副会長だった人で、最近『ゴールは偶然の産物ではない FCバルセロナ流世界最強マネジメント』(アチーブメント出版)という本を出した。ソリアーノ氏は、Jリーグの現状を「とても興味深く見ている」という。プレーうんぬんではなく、経営面で「興味深い」というのだ。 Jリーグは開幕当初、米国スポーツ型の共存共栄主義を採り入れていた。テレビ放映権やグッズの売り上げをリーグで管理して、均等に分配する方式だった。ユニフォームもミズノ社で統一されていた。米国型の特徴は、どこが勝つかわからないように競争を均衡化させることでファンの興味を引きつけ、マーケットを拡大しようというところにある。戦力均衡のためにドラフト制度があり、サラリーキャップを採用する。 しかし、サッカーの
<<前の記事 記事一覧 [2009年11月04日(水)] 【Jリーグ】ナビスコカップの意義と課題〜ベストメンバーとは何か? 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki 藤井隆弘●撮影 photo by Fujii Takahiro 関東勢同士、それも東京と川崎という近隣対決になったこともあるだろうが、今年のナビスコカップ決勝は実にすばらしい雰囲気のなかで行なわれた。 国立競技場のスタンドを二分した両クラブのサポーターは、質量ともに互角。世界中の誰に見せても、恥ずかしくない雰囲気だった。 そこで行なわれた試合については、すでに多くのメディアが報じている。もはや詳細に触れる必要はないだろう。 東京はうまく川崎の攻撃を封じた。しっかりと守備ブロックを作り、ボールを奪いにいくというより、スペースを与えないことを重視した。守備的と表現すると、城福浩監督には怒られそうだが、多少
今大会は決勝に勝ち進んだ横浜FMと磐田のほか、広島、三菱養和とクラブ勢がベスト4を占めた【写真は共同】 昨年に引き続き、決勝戦で7−1という大差がついて幕を閉じた高円宮杯全日本ユース選手権。今大会ではある変化が見られた。それはプリンスリーグ制度ができてから初めてベスト4に高校チームが1つもなかったことだ。横浜F・マリノスユース、ジュビロ磐田ユース、サンフレッチェ広島ユース、三菱養和SCユースとクラブチームが4つのいすを占拠した。さらに大会が始まってから初となる街クラブがベスト4に進んだ。 だからといって、単純に「ユースのレベルが上がり、高校のレベルが下がった」という言葉で片付けては意味がないし、その見方は間違っている。そこに1つの変化があるとすれば、この準決勝に勝ち上がってきたチームに共通しているのは、チームとして非常にまとまっていて、ハードワークできるチームということにある。 『Jユ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く