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藤原ていに関するmshkhのブックマーク (5)

  • 小説に書けなかった自伝 (新田次郎)

    小説家のすべてはその処女作にあるということはよく言われるが,そのような小説家の一人として私が思い浮かべる山崎豊子について,昨年,暖簾(山崎豊子)というエントリを書いた.このような,作家とその処女作については,他にもいろいろと思い浮かべる小説家はいるのだが,その一人として,新田次郎とその処女作「強力伝」について,次にエントリを書くつもりだった(もう半年も過ぎてしまったが).しかし,最近,家族や人生についていろいろと考えることもあり,予定を変えて,新田次郎の「小説に書けなかった自伝」を読んで思うことを,まとまりなく書いてみたい. 新田次郎は,名が藤原寛人,藤原正彦先生(そのエッセイ「数学者の言葉では」については以前ブログでエントリを書いた)の実父であり,その夫人,藤原ていもまた有名な作家である.代表作として,映画化もされた「八甲田山死の彷徨」などがあり,いわゆる山岳小説家として知られている

  • 作家の藤原ていさん死去 | NHKニュース

    直木賞作家の故新田次郎さんので、旧満州からの過酷な引き揚げ体験をもとに描いた小説、「流れる星は生きている」で知られる作家の藤原ていさんが老衰のため東京都内の病院で亡くなりました。98歳でした。 このときの過酷な体験をもとに、昭和24年に小説「流れる星は生きている」を発表し、ベストセラーとなりました。 藤原さんの夫は山岳小説などで知られる直木賞作家の故新田次郎さん、次男は数学者で「国家の品格」などの著書がある藤原正彦さんです。 正彦さんによりますと、藤原さんは、2年半前から体調を崩して都内の病院に入院し、今月15日に亡くなったということです。

    mshkh
    mshkh 2016/11/18
    今までご存命だったことに驚いた.「流れる星は生きている」は名作だった.残念
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

  • [書評]祖国とは国語(藤原正彦)・父への恋文(藤原咲子): 極東ブログ

    流れる星は生きている(藤原てい)で、当時26歳の藤原ていは、6歳の長男正宏、3歳の次男正彦、1か月の長女咲子を連れて壮絶な満州から引き揚げた。「祖国とは国語」(藤原正彦)はその次男、「父への恋文―新田次郎の娘に生まれて」(藤原咲子)はその長女が、それぞれ、それから半世紀の時を経て書いた作品である。 「祖国とは国語」は、数学者藤原正彦が雑誌などに書いたの軽妙なエッセイをまとめたものだが、なかでも雑誌「考える人」に掲載された「満州再訪記」が満州引き揚げに関連して興味深い。彼は、半世紀の年月を経て、彼は自分が生まれた満州の地を母と訪れたかったというのだ。帯の引用がよく伝えている。 混乱の中で脱出した満州の地を訪れることは、長い間、私の夢であった。母の衰えが目立つようになったここ数年は、早く母と一緒に訪れなくては、と年に何度も思った。母が歩けなくなったり、記憶がさらにおぼろになったら、二度と私は、

  • [書評]流れる星は生きている(藤原てい): 極東ブログ

    「流れる星は生きている」(藤原てい)は満州にいた日人家族の引き上げの物語である。家族といっても、この物語に夫の藤原寛人(新田次郎)はなく、26歳の、藤原ていが、6歳の正宏、3歳の正彦(藤原正彦)、1か月の咲子(藤原咲子)のみだ。この幼い子どもを連れて、若い女性が死線をさまよいつつ壮絶な脱出劇を展開する。 この物語は、戦後の大ベストセラーとなり、ある一定の年代以上の日人なら必ず読んでいるものだ。あるいは、書籍で読んでいなくても、テレビでもドラマ化されたので、知らない人はない。 しかし戦後60年近い年月が去り、この物語を読んでいない日人も増えてきたようにも思われる。日人ならこのを読まなくてはいけない、とまで言うつもりはない。率直に言って、現代の日人がこのを直接読んでも、かつての日人が読んだときとはまったく異なることになるのではないだろうか。 このが当初、出版され、読まれた時

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