仲人なのだ。 結婚式を挙げた中で、結婚式に仲人を立てた、と答えた組の比率(首都圏、結婚情報誌「ゼクシィ」(リクルート)の「結婚トレンド調査」より)だ。 なんとか5割を維持してきた仲人率は、1997年4月の消費税税率引き上げ(仲人率の調査は毎年5月時点)から、北海道拓殖銀行破たんと山一証券の自主廃業(11月)を経て急落する株価と足並みを揃え、98年に急降下。株価はいったんITバブルで浮上していくのに一本調子で落ち込み続け、そして最近の株価回復にもかかわらず、とうとう1.1%になってしまった。 10年ちょっと前は6割が仲人を立てていたのも今となっては意外だが、現状は絶滅状態というのも驚きだ。当サイトのK編集長(40代後半)によれば、「1組の夫婦は、生涯に3度は仲人をする」という言葉があったそうだが、100組のうち1組ではとてもとても、出番はなさそう。K編集長も「ああ、僕も仲人なんてやったことな
Web 2.0 Expo(4月中旬に開催)のキーノートスピーチで,HitWiseがプレゼンした資料が面白い。その中から,二つの項目を紹介する。 一つは,Web2.0サイトのトラフィックについて。2年前はWebトラフィック全体の2%に過ぎなかったのが,今では12%も占めるようになったという。ユーザーが作り出したコンテンツが,かなり飛び交っているのだろう。 *Web2.0関連トラフィック もう一つは,Web2.0サイトを特徴づけるキーワードである「参加」について。YouTubeやflickr,Wikipediaなどの代表的なWeb2.0サイトでは,以下のように,能動的な参加者となると意外と少ない。大半のユーザーは,単なるROMユーザーか,人気投票に参加する程度とか。YouTubeユーザーの中でビデオを投稿した割合は0.15%である。Wikipediaユーザーも,実際に編集に加わった人の割合は4
道元をある程度知る人なら、懐奘を知っているし、懐奘が道元より年上であることも知っているはずだ。が、「随聞記」などを見ているとそのあたりをつい失念しがちだし、そしてそのことを想起するごとに不思議なインパクトを精神にもたらす。なにより、「随聞記」とは、もしかして、この世に現れることのない書籍であったかもしれないということに、歴史というものの怖さを思う。 ⇒「 正法眼蔵随聞記: 本: 水野 弥穂子」 懐奘の年齢でもう一つ大きなことは彼が道元禅師とは異なり、長命であったことだ。82歳まで生きていた。親鸞のような怪物もいるが、この時代82歳とはそれだけで大衆にしても弟子にしても仏の功徳のようなものだろうし、たぶん、懐奘は道元禅師に命を分けてもらったのだと確信していただろう。懐奘にとって道元とは本当にそのままに仏陀であっただろう。 私が、あれだけ傾倒した親鸞より、結局は、道元により心を寄せるようになっ
その頃の気持ちを思いだした。 この世界に本当の何かがあるなら、それはなんだろう、と、痛いにように思っていた。あのころ、その希求だけはあった。そしてその痛いような希求が、各種の混乱した身体的な欲望と入り交じって、自分というものがわからなくなっていった。 冷静に考えてみれば、その自分がわずかであれ世界にアウトプットしているものが混乱そのものなのに、なぜ自分にその本当の何かが引き寄せられるというような感覚を持つのか。そして、今にしてみると、自分の中の抑えがたいような痛みのような、惨めな感覚があるだけだし、それは歳を取るにつれ、減衰はしていくけど、本質はあまり変わらない。 生きていると、まわりの風景のなかで、人が倒れ、死んで、消えていく。 そしておそらくなんの解決もない。 理不尽な死の宣告の前に、たぶん本当の何かみたいなもののを妥協して、そしてタイムアウトで終わる。 無常迅速。 話はずれるが。 道
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く