タグ

2008年11月11日のブックマーク (6件)

  • 今日の1冊 「金閣寺」三島由紀夫 - finalventの日記

    木村政雄さんの私の1冊「金閣寺」三島由紀夫 | NHK 私の1冊 日の100冊 木村政雄については名前くらいしかしらない。 ⇒木村政雄 - Wikipedia 今回は、ようするに、100冊のうち1冊は三島を出さなくてならないだろうということで、どう直球的にクセ弾を出すかという揚げ句の出来だったのでないだろうか。辛うじて合格ラインというか、三島の問題を際どく逃げたという印象だった。 木村政雄が三島を読めているかについては言うに野暮に思えるし、実際語るところを聞けば、あの時代の、つまり団塊世代の述懐という以上はない。 三島由紀夫については、私はまだ大きな課題を果たしていない部分があるが、ざっくりいうと、昭和という時代の特殊な心の傷ではあってもそれほどたいした文学者ではないなと思うようになった。こういうと、変な弾が飛んでくるかもしれないが、文章がうまくない。一種の美文というか、表面的にはきれい

  • asahi.com(朝日新聞社):岐路に立つ「同人誌」 「文学界」で「評」打ち切りに - 出版ニュース - BOOK

    岐路に立つ「同人誌」 「文学界」で「評」打ち切りに2008年11月11日最後の「同人雑誌評」が載った「文学界」12月号 半世紀以上にわたり、全国の同人誌に掲載された小説を取り上げてきた「文学界」(文芸春秋)の名物欄「同人雑誌評」が、7日発売の12月号で打ち切りとなった。同人の高齢化が進み、寄せられる同人誌が激減したためという。文芸誌の中で同人誌を定期的に紹介していたのは「文学界」が唯一で、かつては多くの作家が輩出した同人誌の役割が岐路に立たされている。 「文学界」の「同人雑誌評」は1951年に始まり、無名の新人や地方の作家の作品を紹介してきた。55年には「太陽の季節」に先駆けて石原慎太郎氏が「一橋文芸」に発表した「灰色の教室」を〈今月第一の力作〉と激賞。60年には柴田翔氏が同人誌「象」に発表した「ロクタル管の話」を高く評価するなど新進作家を発掘してきた。 執筆は4人の評論家が交代でつとめ、

  • 障害年金について必ず知っておくべきこと - 地下生活者の手遊び

    たまには役に立つことも書くかにゃー。 多くのヒトタチは、「障害者」と「健常者」のあいだに線引きをして、自分がなーんとなく「健常者」の側にいるような気がしているものですにゃ。 自分あるいは家族が現実的に障害者に相当していて障害年金の受給資格があるのに、もらい損ねているという事例がけっこうあるのは、そのあたりにも一因があるのかもしれませんにゃー。 1)内臓疾患・血液疾患・精神疾患でも障害年金は受給できる このエントリを書こうと思ったのは、身近に内臓疾患や精神疾患で障害年金が受給できることがわかってにゃー知りあいがいたからですにゃ。多くの疾患で障害年金の受給資格があることは、 http://www.matsui-sr.com/nenkin/shougai.htm あたりを参照していただければ概要はわかるのではにゃーかと。 リンク先を見ての通り 眼の障害・聴覚、鼻腔機能、平衡機能の障害・そしゃく・

    障害年金について必ず知っておくべきこと - 地下生活者の手遊び
  • ”ダムの女王”白水ダムほか、「水の文化遺産」をめぐる旅 - 沙東すず

    こんにちは…最近とんとご無沙汰ですみません…実はスピリッチャルアイランド・屋久島に行ったり九州をブラブラしていました。屋久島→鹿児島→阿蘇とまわって大分の実家にたどりついたのですが、大分でもいろいろ行っておきたいところがあり、父の目につくところにさりげなく『九州遺産』のを置いておくなどして車を出させることに成功しました。機関車庫の廃墟や謎の巨大ブランコをめぐった夏の大分ドライブにつづき、今回は「荒城の月」の舞台・竹田を中心に大分の用水路系文化遺産を見まくるドライブです。 音無井路十二号分水(円形分水) まず向かったのは、ひっそりと棚田が広がる竹田市宮砥(みやど)地区。農道脇にある円形の妙な施設が円形分水です。 田んぼの刈り取りはほとんど終っています。ほんとは青々とした田んぼに囲まれているほうがフォトジェニックなのに…でも水が出ているだけよしとしたい。 円形分水(円筒分水)は文字通り、田に

    ”ダムの女王”白水ダムほか、「水の文化遺産」をめぐる旅 - 沙東すず
    mshkh
    mshkh 2008/11/11
    確かにきれいなダムですね...これは一度見てみたい
  • 水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

    水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
    mshkh
    mshkh 2008/11/11
    この書評が最もしっくりくる
  • 英語の世紀に生きる苦悩:Kenn's Clairvoyance

    私には、英語コンプレックスがある。 米国で暮らすようになって三年が経ったけれども、いまだに思うように英語で話すことができない。むしろ、三年も経ってしまったのにこんなザマでどうしよう、という焦りからか、そのコンプレックスは肥大化を続ける一方である。 昔からそうだったわけではない。高校時代には普通科ではなく「国際科」と名のついたクラスに通い、カナダにホームステイなんかもして、試験でも一番いい点が稼げる得意科目が英語だった。むしろ、ちょっとばかり英語には自信があったほうなのである。 そのことは、私が幼い頃パソコン少年だったことと少し関係がある。当時から、コンピュータの世界の中心といえばアメリカだった。プログラミングをしていても、関数につけられた名前の英語のニュアンスがわからずに丸暗記せざるをえなかったのが、意味がわかってしまえばパァッと視界が開けて概念間のつながりや命名規則が見えるようになり、英

    英語の世紀に生きる苦悩:Kenn's Clairvoyance