憂うつだった<私>は、一個のレモンを手にした時から、幸せを感じる。梶井基次郎の代表作『檸檬(れもん)』にある有名なくだりだ。<つまりはこの重さなんだな…この重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さである…>▼鮮やかな黄色と手の中に収まる大きさ、形、手触り、そして高揚した心を思いながら、その重さに想像力を働かせてみる。そんな場面だろうか。何グラムかは知れない。軽くも、とてつもなく重くも思える<この重さ>である▼重くなったり、軽くなったり、解釈の余地があってはならない重さの定義が、約百三十年ぶりに変わるのだという。フランスでの国際度量衡総会で「キログラム」の定義変更が諮られる▼変更となれば、日本国キログラム原器は来年、お役御免になるらしい。一メートルや一秒などは、すでに定義に膨大な数字が登場し、人の実感から懸け離れてしまった▼簡単に「原器の質量」で定義されてきたキログラ