◆日英の差を痛感 「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー元英首相の私的補佐官(外交問題担当)を務めたチャールズ・パウエル氏は1977年、旧西ドイツ・ボンの英国大使館に勤務していた。野党・保守党党首として政権奪還を目指すサッチャー氏がボンを訪れた際、パウエル氏は大使館の仕事として、サッチャー氏を西ドイツの政治家に引き合わせた。 「サッチャー氏の第一印象は、これまで私が会った他のすべての政治家とはまったく異なる人物が出てきたということだった。彼女は日常の決まり事や過去と同じやり方で国を統治することにはまるで関心がなかった」とパウエル氏は振り返る。 英国のインフレ率は75年に24%を超え、翌76年には23億ポンドにのぼる国際通貨基金(IMF)の救済を仰いだ。労働組合のストライキが吹き荒れて、経済は低迷し、かつて七つの海を支配した大英帝国は「英国病」と呼ばれる末期症状を呈していた。 自由主義