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考え方と表現に関するmtggのブックマーク (5)

  • 佐藤浩市「無駄に過ごす時間はあっても、無駄な経験はない」

    2013年09月07日放送の「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」にて、佐藤浩市がゲスト出演していた。そこで、経験の積み方について語っていた。 試行錯誤の中で学ぶ経験 佐藤浩市「『けたぐり』をよく若い頃してたんですよ」 木南晴夏「けたぐり?」 佐藤浩市「要は、番でタイミングを変えたりして」 木南晴夏「お芝居の?」 佐藤浩市「うん。やったことない動きをしたりとか」 大東駿介「いきなりやるんですか?」 佐藤浩市「そういう"かまし"も随分しましたね」 加藤浩次「それが『けたぐり』ってことですか?」 佐藤浩市「相撲でいえば、がっぷり四ツではなく、かましてやろうか、みたいな」 大東駿介「…20代の頃、記憶に残っている作品は何ですか?」 佐藤浩市「やっぱり…『魚影の群れ』だね。相米慎二監督っていうのが、何も言わないんだ」 大東駿介「相米監督って大変だって聞きますね」 佐藤浩市「大変だったよ。当時、22

    佐藤浩市「無駄に過ごす時間はあっても、無駄な経験はない」
  • ブログを活性化する情報フィルタリングの2つの考え方|まとめ記事は情報をまとめる事ではない

    まず「まとめ記事」とは、様々な情報を「まとめる事」だと思っている人がいますが、実はまったく違います。 ブログ、そして記事の基となる部分である、フィルタリングこそが、まとめ記事の最大のポイントなのです。 あなたの記事はきちっとフィルタリングされているでしょうか? 今回は、あなたのブログ、そして記事がいかにフィルタリングされて運営されているかを確認し、さらにまとめ記事のフィルタリング方法を考えて見ましょう。 情報はそこらじゅうにあふれている そもそも、フィルタリングと聞くと、くさいものにふたをするかのようなイメージがあります。しかし、このフィルタリングという考えは、ブロガーの記事作成に大いに役立ちます。 例えば、 「コンビニでいろはすとエビアンとボルビックという水を買って飲んだんだぜ」 これに対して、あなたというフィルタを通してみましょう。 あなたは、この中で、エビアンがおいしかったとします

    ブログを活性化する情報フィルタリングの2つの考え方|まとめ記事は情報をまとめる事ではない
  • 明石家さんまと伊集院光、それぞれが見つけた魔法のカギ - 凹レンズログ

    明石家さんまは「楽しいということ」について、伊集院光は「リアリティと分かりやすさの共存」について、非常に興味深い発想の転換を経験しています。タイプは若干異なるのですが、そのパラダイムの転換が非常に力強く、心を打たれる部分があったので紹介します。 明石家さんまの「楽しさ」のカギ これは、「ほぼ日刊イトイ新聞」睡眠論で連載されていた糸井重里と明石家さんまの対談です。もはや、ページは消滅しています。ただし、魚拓は読むことができます。 第17回 師匠 http://s04.megalodon.jp/2008-0214-2253-32/www.1101.com/suimin/samma/2008-02-12.html さんま  昔ね、うちの師匠(笑福亭松之助)から言われて、これは助かったなということがありまして。我々の弟子稼業というのは、掃除をさせられるじゃないですか。で、掃除をしていると師匠が、「

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  • ネットだからプロとアマの垣根がなくなるというアングルは、終わってもいいんじゃないか - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    ちと猛烈に忙しく、忙しいためか手慰みな感じになっちゃうけどご容赦。 大量のプロの表現者がべていける時代は、終わってもいいんじゃないか【湯川】 http://techwave.jp/archives/51457840.html ここでいう、「大量のプロ」というものを、読み手がどう想像するかによって、実は結論が異なる。私は、大量のプロは新聞社であり出版社であり広告代理店であるというような大企業で働く記者や編集者や広告マンのことかなと思って読んだ。文中には、「作家やミュージシャン、カメラマン、ジャーナリスト」とあるが、彼らかてこれらのプロフェッションの対価はそれなりの割合が新聞社や出版社や広告代理店で得ているだろうからだ。 彼らの存在が脅かされる対象として、アマター、すなわち無料の表現者によって市場を蚕され、対価を貰わないシステムがネットの中で完成し、完結することによって収入が下がってしまい

    ネットだからプロとアマの垣根がなくなるというアングルは、終わってもいいんじゃないか - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 大量のプロの表現者が食べていける時代は、終わってもいいんじゃないか【湯川】 | TechWave(テックウェーブ)

    いやもちろん僕自身、物書きとして生きていきたいと思っている。だから個人的には好きな表現の仕事をして生きていける時代が今後も続いてほしい。しかし社会の流れとしては、作家やミュージシャン、カメラマン、ジャーナリストなどといったプロの表現者の仕事は、今後もますます少なくなるように感じる。でもその一方でアマチュアの人たちの表現が爆発的に増える。社会の総和で見た場合、文化の多様性や知見の高まりはますます加速されるいい方向に進んでいるのではないかと思う。 ustreamでの池田信夫さんのお話は非常に面白かった。表現者がべていける新しい社会的な仕組みを作ることは大事だという意見には賛成だ。過渡期には可能だと思うし、ぜひそうした仕組みができてほしい。でも20世紀のように大量のプロ表現者がべれる時代には、どんなことをしてももう戻れないんじゃないだろうか。 それに大量のプロ表現者がべれる時代は終わっても

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