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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (6)

  • 全能感を維持するために「なにもしない」人達 - シロクマの屑籠

    ここ最近、「価値のあるボク」「価値のあるアタシ」といった肥大した自己イメージを、いつまでたっても抱えている男女がそこらじゅうに溢れています。つまり、全能感を捨てきれない大人達が増えているわけですが、彼らが全能感を維持するメカニズムについては、あまり取り沙汰されていないようです。 この文章では、全能感を維持したい・いつまでも子どもの王様のままでいたい人にありがちな、二つの処世術を確認してみます。 1.自分が得意な分野で、全能感を何度も確認する ひとつめは、ごくオーソドックスな方法。 自分の優秀さや自分のバリューを確認しやすい場所で、それを反復的に確かめる、という方法です。ここに書いたように異性をひっかけて自分の価値を確認する人もいれば、ネットゲームtwitterで優秀さや有能さを確かめたがるタイプの人もいます。この際どこでもいいから、とにかく自分が優秀でいられそうなフィールドをみつけ、自分

    全能感を維持するために「なにもしない」人達 - シロクマの屑籠
  • 「あの綾波レイは、長門有希っぽくないからダメ」(ネタバレ含む) - シロクマの屑籠

    ※この文章は、ヱヴァ劇場版ネタバレを含みます。『ヱヴァンゲリオン破』をご覧になっていない人は、読まないほうが良いと思います。 TV版エヴァンゲリオンから14年経った後の、映画版ヱヴァ。14年経った状況だからこそ、以下のような台詞は十分にあり得る。 「あの綾波レイ、長門有希っぽくなかった。」 「タバサのほうがよくね?なんか生々しくてキャラが立ってない。」 「感情が豊かすぎる!」 綾波レイは、青髪無口系とでもいうべきキャラクターの系譜のなかでは始祖に近い存在だが、90年代のエヴァブームが去った後、幸か不幸か優れたキャラ造形の“子孫”に恵まれまくり、次第に存在感が少なくなっていった。昨今、青髪無口系といえば、まず第一に長門有希やタバサあたりを連想する人も多いのではないだろうか。実際問題、こういった“子孫”達のほうがキャラクター造形そのものは徹底していて、“萌えやすい”。 対して、劇場版ヱヴァに出

    「あの綾波レイは、長門有希っぽくないからダメ」(ネタバレ含む) - シロクマの屑籠
  • twitterに耐えられない人には、インターネットは難しい

    twitterは、かつてのmixiなどに比べて拘束感の少ないコミュニケーションを楽しめるツールとして普及してきている、と思う。タイムラインを全部読まなければならないとか、返答義務を意識してしまうような状況も少ない。特にfollowersの人数がそれなりに多い人同士の繋がりの場合などは、殆ど応答が無い状況がいつまでも続いたとしても、殊更問題になるようなことは無い。また、removeのしやすさという点でも、よほど人数が少ないtwitterユーザー同士の間でもない限りは、かなり簡単に実行することができる。仮にremoveのような事態が起こったとしても、followersが十分に大きければそれほど打撃にはならないし、そんな事に拘泥していられない程度にはタイムラインのログの流れは速い。 こうしたtwitterの、返答義務の乏しさ・removeのしやすさ・タイムラインの流れの速さなどは、従来のコミュニ

    twitterに耐えられない人には、インターネットは難しい
  • 『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠

    21世紀が始まった頃、個性がやたらと礼賛された時期があった。 『ゆとり教育』。 『ナンバーワンよりオンリーワン』。 『自分らしさ』。 『世界にひとつだけの花』。 【個性的であること=かけがえのないこと】という夢いっぱいの観念を、老若男女を問わず、誰もが礼賛するような空気が、日じゅうに蔓延していた時期を、あなたも覚えている筈だ。 個性を礼賛した結果がこれだよ! その結果、何が起こったのか? 個性を礼賛し、個性を追求し、“自分らしさ”へと突き進んだ青少年の大半は、個性を賞賛されることもないまま、自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのたうち回っている。自分の個性が生かせない仕事はしたくない・働いたら負けだと思っている・自分の個性を大事にしてくれない社会が悪い・自分の才能を見抜けない上司が悪いetc…。そういう怨嗟をオーラのようにまといながら、心のどこかで“当の自分”

    『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠
  • “使えない奴”を足切りする為の面接テクニックについて - シロクマの屑籠

    コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された - ミームの死骸を待ちながら リンク先の記事はコンサルタントの採用面接の体験談らしいが、巧い質問する面接官だなーと舌を巻いた。もし自分が面接官になったら、こういう意味深な質問を繰り出したいものだ。 就職面接であれ、受験面接であれ、面接官は限られた時間のなかで、対象者が合格に値する人物なのかをスクリーニングしなければならない。“モノになりそうな奴”を合格させ、“使えそうにない奴”を足切りするという重大な作業にかかわらず、与えられる時間はたった数十分。しかも、面接官に少しでも良い印象を与えるべく、対象者はなにがしかの嘘や誇張を交えてくるという前提で面接しなければならない*1。 このため、面接官がそれなりの信頼度でチェックできる情報というのは、意外と限られているし、そういう情報は「対象者が言葉に出して喋った内容その

    “使えない奴”を足切りする為の面接テクニックについて - シロクマの屑籠
  • 愚かさとインターネット----情報へのアクセシビリティは“愚者”に何をもたらすか - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/RPM/20081026/1224958362 いまや、“愚者”を世界から守る壁は存在しない。 情報機器とインターネットの発達や、都市化・都会化したライフスタイルは、“愚者”が世界に直接アクセスする機会を増大させる。愚かな行動が可視化されるだけでなく、愚かさをオープンに発揮する機会そのものも、おそらく増大してしまう。 かつて、“愚者”は世界に直接曝されることは無かった。テレビやラジオや新聞広告といった情報に右往左往することはあったし、それらがもとで馬鹿をみることも無くは無かったが、大きなメディアから与えられる情報にはある程度のフィルタリングと、品質の保証が期待できた。少なくとも、“嘘を嘘と見抜けない人には難しい”というほどではなかった。また当時は、メディアを通して何かを発信する機会も、メディアに向かって行動する機会も少なかったので、“愚者”の側が

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