靖国神社への抗議行動で祭祀(さいし)業務を妨害したとして、警視庁公安部は11日、台湾の高金素梅・立法委員(45)=国会議員=を威力業務妨害と礼拝所不敬、傷害などの容疑で東京地検に書類送検した。海外の国会議員の立件は極めて異例だが、高金立法委員を巡っては05、06年にも同様の行動で強制排除に発展した経緯があり、警視庁は「再犯の可能性が高い」と判断した。海外在住のため、現実的には刑事責任を問うのは困難とみられる。 送検容疑は、09年8月11日午前9時半ごろ、東京都千代田区の靖国神社で、男女数十人とともに、「(台湾先住民族戦没者の)合祀をやめろ」と書いた横断幕を掲げ、「英霊を返せ」と叫んで行進。正当な理由なく礼拝所に押し入ろうとするなどして神社の祭祀業務や一般客の参拝を妨害したとしている。制止した職員1人が軽傷を負った。 公安部などによると、高金立法委員は台湾先住民族出身の女性で、02年以降、た
悦月(えつき)さん という方のBlogに 下記の内容が書かれていました。 私も 今までは 原発に対し、恐れ等ありましたが、 これを読んだら原発に対し、 申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 http://www.putimiracle.com/ (3月16日記載文) 原発が泣いています。 人々のために一生懸命今まで動いてきたのに、 地震で、津波で、負傷して辛い思いをしているのに、 みんなから恐れられ、非難され、攻撃され、 悲しい、辛いって泣いています。 だれも自分の応援をしてくれていない、 自分はひとりぽっちだと泣いています。 どうか原発に向けているあなたの拒絶のエネルギーを止めてください。 人々から突き刺すようなエネルギーを受けて、 原発が悲しみで破裂しそうです。 人々の恐れと悲しみと嫌悪と怒りと不安と拒絶のエネルギーを受け、 とても寂しく、縮こまっています。 原発は(少なくとも今の
e2 @bongoworks 同じ日本で原発が地震で大破、爆発している中で山口県の上関原発予定地では今も建設作業が続いている。中国電力あんたら頭おかしいんちがう!! #kaminoseki 2011-03-13 18:11:30 吉国 雄大 @yuta_yoshikuni “@irie_sachi: RT @mamadaigo: 同じ日本で原発が地震で大破、爆発している中で山口県の上関原発予定地では今も建設作業が続いている。中国電力あんたら頭おかしいんちがう!! #kaminoseki”私の実家からすぐ近くです。非常に怖い! 2011-03-13 18:30:23 炒飯 @genthalf その理屈で議論するなら、上関でM9.0の地震が起こるリスクがあることを示してほしい。RT @mamadaigo: 同じ日本で原発が地震で大破、爆発している中で山口県の上関原発予定地では今も建設作業が続い
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は昨年、後継者は自分が生きている間に指名するか、いっそ選挙で選ぶことになるかもしれないと語った。本来は死後にその生まれ変わりと認定された者が後継者となるべきところだが、それを中国政府に選ばれてしまうのでは、チベット人の支持は得られないと懸念したからだ。 だが昨日ロイターが伝えたところによると、中国政府は例によってダライ・ラマの考えに猛反発している。 中国政府に任命されたチベット自治区のパドマ・チョリン主席は、ダライ・ラマに輪廻転生を廃止する権利はないと語り、チベット対する中国の強硬姿勢を改めて鮮明にした。「そんなことは許されない。不可能だと思う」と、北京で開会中の全国人民代表大会(全人代=国会)の傍らで彼は語った。 「われわれはチベット仏教の歴史的慣例と宗教儀式を尊重しなければならない」と、チベット人で元人民解放軍兵士のパドマ・チョリンは言う。「輪
▼ リトアニアの十字架の丘 リトアニアの首都ヴィリニュスから車で3時間、シャウレイという町の郊外約12キロというたいへん交通の不便な場所に、奇妙な名所があります。 周囲は人家も何もないまったくの平原。そこにほんのちょっと突き出た丘というか塚のような場所に、無数の十字架が立てられているのです。 駐車場の方から見た風景。 その数は少なくとも10万以上。1990年には推定5万5千本だったそうなので、その後20年でほぼ倍に増えたことになります。 なぜこんな不便な場所にあるのか。なぜここじゃなきゃいけないのか。まったくわからない。思えばたいへん奇妙な場所なのだけれど、この丘は、ロシア、ポーランド、ナチスドイツ、ソ連と、常に周辺の大国に翻弄され多くの犠牲者を出してきたリトアニア人の聖地であり祈りの場所なのだそうです。 ソ連時代にはここの十字架は少なくとも3回にわたってブルドーザーでなぎ倒され、焼き払わ
(王)朗家傳曰、會稽舊祀秦始皇、刻木為像、與夏禹同廟。朗到官、以為無徳之君、不應見祀、於是除之。居郡四年、惠愛在民。 (『三国志』王朗伝注) 三国時代、魏の王朗の家伝によれば、王朗が後漢末に会稽太守になった頃、会稽では秦の始皇帝の像を夏の禹王と一緒に祀っていたのだという。 王朗は始皇帝は徳の無い君主だから祀る対象にすべきでないと堅いことを言い、その祭祀を止めさせた。 曹操の城陽景王の話に似ているが、注目すべきは祭祀をやめさせる理由だ。 始皇帝は「無徳」なので祭祀の対象にふさわしくないということらしい。 始皇帝を当時の知識人がどう見ていたのか、それとローカル祭祀について同じくどう思っていたのか、これらについて考えさせる話である。 ちなみに曹操の例では城陽景王の祭祀が民より収奪する道具と化していたために禁止した、ということになっているようで、理由が王朗の方とは違っている。 曹操は城陽景王の祭祀
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