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思春に関するmurashitのブックマーク (43)

  • 非モテ、それはオーストラリア大陸 - 飲めヨーグルト

    おかげさまで、昨日のエントリは3桁のブクマを獲得することができた。 http://d.hatena.ne.jp/yoghurt/20080416#p1 これはこのブログ始まって以来の記録的な数字である。僕はいま、猛烈に感動している…!まずは、非モテの皆さんにありがとうといいたい。ココロ社さんが500ブクマ!なんて威勢のいいことを言ってくれたので、昨日は「まさか……僕が500……!?」と、どきどきしながらずっと自分の日記を眺めていたのだけど、さすがに500などという天文学的な数字に達することはなさそうだ。とはいえ、500とはいかないまでも、三桁である。500も100も、僕にとっては未体験ゾーンであることには変わりない。僕はにやにやしながらブックマーク画面を眺めていたのだが、よくよく読んでみると、僕をDISるようなフレーズが幾つか散らばっていることに気がついた。「老害」「ねたみ世代」「ルサンチ

    非モテ、それはオーストラリア大陸 - 飲めヨーグルト
  • 2008-04-09

    どっちの料理ショー見て喜んでたのと一緒。 まんま「日の特選素材」じゃないか。 祖父母の家には戦時中の書物やアルバムがたくさんあるのだが、その中の祖父が通っていた学校のアルバムが非常に面白かった。アルバムの写真ごとに説明や場面に応じた会話が添えられているのだが、なんとも時代を感じさせる独特の文体が味わい深かったので携帯で撮ってきた。 説明文も一緒に載せる。 被服着装 頭のテツペンから足の先まで心身共に心機一転 「一番先に褌をつけよ」何時かに出て居た 「褌とは軍の衣と書く、戦争のときになくてはならぬもの」と、 「ナール程やつぱり軍隊だナー」 「次は襦袢……オツトそれは反對だ」 「でも釦が……」 「いや」一々懇切に教へて下さる教班長にチョツト甘へたくなる…… 「オイ皮だぜ」初めて交す戦友との言葉 「甘へたくなる……」って、「教班長と青年との禁断の愛」の伏線にしか見えない。 告別面會 笑

    2008-04-09
  • もっとも多感だったころ - やねごんの にっき

    もっとも多感だったころ。というのはわたしの場合、14歳ごろですかね。当時の夢をみた。 ところで、「多感」ってなんでしょうかね。「感」が「多」とは、いったいなんだろう。わたしはその精確な意味をじつは知らない。 辞書をひけばわかるのかもしれないけれど、いまはひかない。言葉の意味がわからないときは辞書をめくる、という考えは、ときにひどくナイーブな気がする。だって辞書なんかなくても、ぼくはこうやって「多感」という語をしゃべったり、書いたりしているのだから。 その意味や用法が「正しい」か「誤っている」か、という問いが頭をかすめることがあるけれど、それってなんか変よね。辞書というものは、わたしたちがしゃべったり書いたりしている語の意味と用法を蒐集して編んだもので、だから来はわたしたちのほうこそが規範であって辞書がそうなのではない。でも、いつのまにか辞書のほうが規範であるかのようにふるまっており、わた

    もっとも多感だったころ - やねごんの にっき