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2022年6月13日のブックマーク (7件)

  • 【私が諸島である カリブ海思想入門】第1回 ひとつの世界としてのカリブ海(中村達)|書肆侃侃房 web侃づめ

    コロンブスによる「発見」以来、カリブ海は様々な人種が衝突し、融合する舞台となりました。カリブ海の人々の植民地支配、奴隷制、年季奉公という痛ましい経験と受け継がれた記憶、そして彼らの出会いから生じた文化的融合を通して育まれた思想は、彼らを「他者」と表象する西洋思想に抵抗する力強さと独自性を持っています。 この連載では、そんなカリブ海の思想を、英語圏のカリブ海文学・思想作品を中心に取り上げ、体系的に解説します。メインタイトルの「私が諸島である」は、トリニダード・トバゴ詩人エリック・ローチ(Eric Roach)の詩“I am the archipelago.”からの引用です。 第1回 ひとつの世界としてのカリブ海 「なぜハイデガーでなければならない? なぜラカンでなければならない?」当時の指導教員であったノーヴァル(ナディ)・エドワーズ(Norval Edwards)教授から投げかけられたこの

    【私が諸島である カリブ海思想入門】第1回 ひとつの世界としてのカリブ海(中村達)|書肆侃侃房 web侃づめ
  • 四冊の『長い別れ』を読む - marginalia

    <The Long Goodbye>は長い間清水俊二訳が定番だった。村上春樹が単なるハードボイルド小説としてではなく、「準古典小説」として新訳『ロング・グッドバイ』を出したことは当時評判になった。旧訳に欠けていた部分を補填するなど意味のある仕事だったが、新訳の評価は二分した。これはもう原文にあたるしかないと思い、原文と照らし合わせ、新旧訳を読み比べる記事をブログに書き始めた。同じことを考えた人も多かったのだろう。ある日、松原元信氏から『3冊の「ロング・グッドバイ」を読む』というが送られてきた。著書の中に、私がブログに書いた記事の引用があったので贈ってくれたのだ。 田口俊樹訳『長い別れ』が出た。さて、どうしたものだろう。今度は『四冊の「長い別れ」を読む』を始めるべきなのだろうか? チャンドラーの長篇のなかでも<The Long Goodbye>は全五十三章の大冊である。もう一度、読み比べを

    四冊の『長い別れ』を読む - marginalia
  • 『地上で僕らはつかの間きらめく』 | 荒野に向かって、吼えない…

    オーシャン・ヴオン著 『地上で僕らはつかの間きらめく』 オーシャン・ヴオンは1988年ホーチミン生まれ。幼少期に母、祖母などとともにアメリカ合衆国に移住し、大学に進むとベン・ラーナーに指導を受けた。2017年にはT・S・エリット賞、19年には「俗に天才賞とも呼ばれる」マッカーサー奨学金を得るなど詩人として高く評価されている。作は2019年に発表されたヴオン初の長篇小説である。 著者略歴から入ったのは、『地上で僕らはつかの間きらめく』が母への手紙という形式で書かれた自伝的小説だからだ。この作品はそのモチーフだけを聞けばありがちなものと受取る人もいるかもしれない。 まずなんといっても、アメリカ文学にとってお馴染みの移民文学である。一家は揃って英語が話せなかったが、学校に通う「僕」は英語を身につけていく。母に読み書きを教えようとしても年をとって覚えるのがつらいとつれない対応であるばかりか、暴力

    murashit
    murashit 2022/06/13
  • 障害者と報道機関を巡る問題 - ダブル手帳の障害者読み物

    【趣旨】 障害者に関する報道を実りあるものにしていくために、障害当事者とマスメディアとの間にどのような課題があるか考察する。 【目下の課題】 ①報道が一過性である(障害者問題に限った話ではないが) 少しでも初報から日にちが開くと、もはや重要な続報があっても伝えない傾向がある。報道が点に終止し、線にならない。 そのため、諸事象に通底する問題の枠組みがあっても見落としてしまっている。 結果的に、社会として質を議論したり知見を共有したりする機会も無いまま瞬く間に忘れ去られる。 そして毎年の節目(起きてちょうど〜年といった日)の時だけ思い出したように定型句を並べる。 こうしたアリバイ作りのための文章の意味など真面目に考えても仕方ないことは承知している。しかし中にはどうしても許せない言葉遣いもある。 例えば「記憶の風化が深刻だ」というフレーズ。天に唾するとはこのことだ。気でそう思うなら、まず報道

    障害者と報道機関を巡る問題 - ダブル手帳の障害者読み物
  • PoEAA に学ぶデザインパターン系の書籍の読み方 - パンダのプログラミングブログ

    PoEAA から始めるパターン集 2年ほど積読していた PoEAA を手に取ってみると、これが意外と面白い。PoEAA は20年ほど前の書籍であるものの現代でも通用するところがある。というより、PoEAA は当時の実装パターン集であるため、現代でも活かせることがあるのは当然とも言える。 それは、パターンが現場で直面する課題に対して、繰り返し活用できる解決方法だからだ。 ソフトウェアがデータベースにアクセスしたり、オブジェクトのコレクションを扱ったり、同じインターフェースを備えた複数のオブジェクトを差し替えて動き方を変えることは20年以上前から今に至るまで変わらない。これからも同じことを相変わらず行うだろう。 ただ、厄介なことに PoEAA の実装コードは古くなっている。 書の序文によると、著者であるマーティン・ファウラーが書籍内のパターンに出会ったのは80年代後半から90年代初頭であり、

    PoEAA に学ぶデザインパターン系の書籍の読み方 - パンダのプログラミングブログ
  • なぜ「電動車いすを修理する消費者の権利法」なるものが必要とされたのか | p2ptk[.]org

    なぜ「電動車いすを修理する消費者の権利法」なるものが必要とされたのか投稿者: heatwave_p2p 投稿日: 2022/6/92022/6/9 Electronic Frontier Foundation EFFがコロラド州の「車いすを修理する権利」法を支持する理由 車いすの故障 300万人のアメリカ市民が車いすに頼って暮らしている。その車いすは500億ドル規模の耐久性医療機器産業(Durable Medical Equipment industry)の主要な牽引役でもある。多くの人が、宅内の移動、通勤、買い物、家族と過ごす時間をはじめ、基的な生活を車いすに頼っている。とりわけ電動車いすは、高度なコンピュータを搭載し、周囲の環境にダイナミックに対応できる。 携帯電話やノートパソコンを落としてしまった経験のある人ならご存知だろうが、持ち運びを伴う機器は、いずれ修理が必要になる。これは電

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  • Make me feel goodなもの - obakeweb

    いい気分だ 分かってんだぜ ──── I Got You (I Feel Good) - James Brown 先日の応用哲学会で、美的価値論に関わる発表をしてきた。 趣旨としてはこの文脈でモンロー・ビアズリーを読み直す、というものだったが、コメントの多くはその前提、既存の反快楽主義に対する私の懸念に対する懸念として集まった。アフターフォローのいくつかは日記に書いたのだが、こちらでも考えをまとめておこう。*1 美的に良いものはなにゆえ良いのか 問題はこうだ。美的に価値のあるものは、行為や信念形成に理由を与えるが、なにゆえそうなのか。美的に良いものはなにゆえ良いのか。 デフォルトの説明はこうだ。「快楽を与えるからさ。美しいものを見たり聞いたりするのは気持ちがいいからね」。これに対し、達成や自由や自律性に訴える反快楽主義が出てきている。美しいものに駆り立てられる人は、必ずしも快楽に駆り立てら

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